どうせ食べれば一緒とばかり、すべての食材をまとめてフードプロセッサーやミキサーにかけて一品にしてしまえば、視覚的にも嗅覚的にも味覚的にもわけのわからないものになってしまう。筑前煮をまとめて潰して出されても食欲はわかないし、筑前煮を食べたという気持ちにもなれないだろう。多田方式では、人参、椎茸、鶏肉、ゴボウなどをそれぞれムース状にして和風スープの上に盛り付ける。一品ずつでもよし、いくつかをまとめて口に入れても、確かに筑前煮を食べた感じになるという。
「ステーキなら、生食可能な肉を刻んで、食物繊維を加えてさらに叩き、再びステーキのように成形して焼きます。魚の煮付けも、煮付けたものを潰すと色もよくないし、生臭みが出て味もよくない。だから魚を蒸してムース状にして、煮汁を別に作ってとろみをつけて下に敷く。病院食というとさっぱりした和食と考えがちですが、おかゆと佃煮では炭水化物は摂れてもタンパク質やカルシウムが摂れない。オリーブオイルやクリームチーズなどを使いながら、ハイカロリーで少量でも満腹感と栄養の両面から充足させるようにしています」
フェッテ(泡立て)やエマルジョン(乳化)などフレンチの代表的な技法は、嚥下が困難になった人への介護食に役立つのだという。料理を前にして、多田の言葉が熱を帯びてくる。栄養科の管理栄養士や調理師たち、厨房スタッフと溶け合ったエプロン姿の下から、フレンチシェフの顔がのぞく。でも、かつてオーナーシェフとして腕をふるい、無農薬野菜など高品質の食材を駆使してアンチエイジングをコンセプトとしたコース料理を提供していた頃とは、印象がずいぶん違っている。少なくとも以前の多田なら、エプロン姿で人前に出てくるようなことはなかったと思われる。
裕福な資産家の家に生まれた多田は、どのようにして料理と出会い、何を求めて生きてきて、いまどんな道を歩いているのだろうか。肩から力が抜けた様子から、料理と自分との新たな関係が多田にとって心地よいものなのだろうと想像できる。
6歳から台所に立つ
「子どものころ、初めてほめられたのが料理だったんです。6歳から祖母に育てられ、遊びは祖母と一緒に料理を作ること。うどんや餃子を作り、やがて3千円渡されて夕食のメニューを考え、買い物に行き、料理を作って家族で食べる。小学校6年の時にプロ用の包丁を買ってもらい、中学生の時にはかなり本格的に料理を作ってました」
6歳から台所に立つ。学校から帰って夕食の支度をする。祖母の手伝いから、やがて多田がすべてを仕切る。小中学生の男の子がそこまで日常の生活で台所に深く関わるのは珍しい。
「6歳の時に生まれた弟が知的障害を伴う重度の自閉症で、父も母も弟につきっきりになってしまったんです。僕のことは祖母に任せっぱなし。学校でも弟のことでいじめられた。でも親が苦労しているのはわかるから何も言えないし」
自分が作った料理を家族で一緒に食べ、おいしいねと言ってくれる瞬間は、多田にとって両親が自分に関心を寄せてくれる貴重なひとときでもあったのだろう。