前号のインデアナポリス号の話(「原爆を運んだ軍艦と映画「ジョーズ」の因縁」)は、反響があったので、続きを一つ。
1954年の洞爺丸事故
内田叶夢監督の映画「飢餓海峡」をご存じであろうか。もちろん原作は水上勉だ。あれは1954年にいわゆる洞爺丸事故をモデルにしたものだ。実話は、さらに興味深いようだ。なぜ台風の最中に函館を出港してしまったのか。また、浜の近くに座礁しながら多くの人が命を落としてしまったのか、謎は多い。責任から身を守るために、死人に口無しとして理由付けがなれることもあるのかもしれない。
乗客乗員1337名のうち。1115人が命を落としたのは厳然たる事実だ。振り返れば、気象衛星があれば、こんなことにはならなかった。青函トンネルがあればそもそも台風の影響は受けなかった、などの意見もでることであろう。青函トンネルは、この事故を契機として建設に傾いたのであろう。違ったら教えてほしい。
遺体安置所には、老齢の婦人が頭を下げながらお詫びをしてあるいている姿が見られたそうだ。洞爺丸の船長夫人だ。船長も殉職している。船長は、双眼鏡をかけ、救命胴衣もつけない姿で発見されたといわれている。なぜ出港したのだろうか。船長は気象判断が得意で、一時の凪で安全だと判断し、離岸命令を出したという話や、乗船中の大物議員からの圧力があったという意見まであるが、その場にいたが、そんなことはなかったという話までいろいろある。
同様に、1000人近い将兵が命を落としたという話が前号のインデアナポリス号事件だ。日本海軍の伊58の魚雷攻撃により15分で沈んだのは間違いないが、多く死者はその後数日間海を漂流したため、サメの餌食になったことによる。これが映画「ジョーズ」のモデルとなった実話だ。
原爆をテニアン島に輸送した帰り船であったとはいえ、なぜ制空権、制海権を持った米軍が発見できなかったのであろうか。そもそも、沈没の事実を誰も知らなかったのだ。15分とはいえ、急難信号は打てると思うが、発信器がやられてしまった。しかし、定時連絡がなければ捜索をするであろう。