今月の旅指南

2010年1月8日

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――江戸っ子が着物の裏に凝るような感じですね?

安村氏:そうそう。是真は常に着物も地味なものを身につけ、出かけるときはいつも同じものを着ていたらしいですよ。とにかく粋なんです。何しろ、おじいさんが宮大工、お母さんが葭町〔よしちょう〕芸者ですからね。おじいさんから職人肌の血筋を受け継いで、幼少の頃から暮らしのなかで粋な江戸っ子気質を体感してきたんでしょう。

――江戸っ子といえば、明治政府から絵の依頼があっても断ったというエピソードがありますね?

安村氏:是真が明治を迎えたとき、すでに62歳で、漆の作家として功なり名を遂げていたわけです。それまで徳川将軍家にお世話になってきたのに、幕府が倒れたからといって、明治政府にヒョイヒョイついていくような人間じゃない、ということでしょう。でも明治2年ぐらいから皇室の仕事をしているんですよ(笑い)。まあ、そういうエピソードが残るぐらい、まわりの人たちから頑固だと思われていたんでしょうね。僕は、是真は“江戸最後の職人”だと思います。画家とか、芸術家とかではない、頑固職人なんです。

富士田子浦蒔絵額 明治6年(1873) 福富太郎コレクション資料室


――是真は、絵も一流で、蒔絵のデザインも自分で描いたそうですね。

安村氏:当時はね、漆職人というのは、与えられた下絵か、昔の人が描いたデザインをもとにして漆を塗るのが常識だったんですよ。しかし、是真は進取の精神に富んでいて、他人の図柄を使って漆塗をするのを嫌った。それで、16歳のときに江戸の四条派の画家・鈴木南嶺〔なんれい〕に入門して絵の勉強をするんです。それから8年後の24歳のとき京都へ遊学しますが、この頃、妙心寺塔頭〔たっちゅう〕の大雄院に襖絵を描いています。お寺の障壁画を担当するというのは非常に名誉なことなんですよ。当時、京都に四条派の有名な画家はたくさんいたのに、江戸から絵を習いに来ている名もない若者が抜擢されるとは……、よほど才能があったんでしょうね。ともあれ、是真は絵の勉強をし、漆のデザインも自分でやった。デザイン性と職人芸と、両方を兼ね備えているというのは是真の大きな魅力ですね。

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