――哲学者の梅原猛氏は「木田氏ほど鋭く観音霊場の霊気を捉えながら、この霊場のもつ喜びや悲しみ、苦悩や笑いを表現した人はいない。彼の作品には”祈りの精神“がある」と絶賛されておられます。この“祈りの精神”というのは、どういうところから生まれたものでしょう。
木田氏:「木田さんは仏さんの作品をたくさん描かれているけれど、宗教を信じておられるのですか?」とよく聞かれるけれど、そうじゃないんです。僕は京都出身でしょ。京都の生活の行事、習慣というものが身に付いているんです。朝起きたら、男の子は仏さんの仏飯をお下げするとか、ご飯を食べるときには手を合わせるとか、町内から出て行くときにはお地蔵さんに手を合わせるとか、そういうことが小さいときから、宗教心ということではなくて、生活習慣としてあるわけです。それが絵を描くときに沁み出てきているんじゃないかという気がします。
――先生は寺社以外に、日本の祭りや舞妓さん、富士山、古い町並みなど、日本の風物や伝統文化をテーマにした作品を多く手がけておられますが、それもご出身が京都だということと関係があるのでしょうか?
木田氏:そうですね。大学生の頃、どんどん壊されていく町家をスケッチに残そうと、真夏の炎天下に8日間ほど、京都の町を自転車で走り廻ったことがあります。今でも常に感じているんですが、日本のいいものがどんどん失われていっている。それは個人の力ではどうすることもできないけど、黙って見ているわけにはイカン。そういう思いが絵に出ているのは事実でしょう。ただ、それだけではなくて、やっぱり“祈りの痕跡”を求めているような気もします。自分で意識していたわけではないけれど。祭りも富士山も“祈り”とつながるものでしょう。
――「西国三十三所」の制作で腐心されたところは?
木田氏:お寺によってはテーマパークみたいになっていたりして、あまりやりたくないなという寺もあったのですが、作品としてはどれも同じ価値のものだという意識で臨みました。観音寺というのはだいたい似たような雰囲気なんですよ。でも、三十六カ寺どれを見てもその寺だと分かりながら、また違う印象になるように留意しました。それから構図を決めて、36枚全体のストーリーというものを考えて制作しました。
――先生の木版画は緻密ですが、構図がとても大胆ですね。
通常ではなかなか見かけない、お寺が大胆に分断された構図
木田氏:僕は学生時代から棟方志功さんが好きでしたから、彼を超えるにはどういう作風にすべきか、と考えながら作品をつくってきました。彼のような荒い、ラフな……作品の良し悪しではなくて、制作が楽ということですが、同じような作風では絶対勝てないんですよ。それで、23歳の頃から棟方志功とは根本的に違う版画を目指し、緻密な版画が、最も異なるやり方だと考えたわけです。しかし、緻密だけではだめで、緻密さをより明解にするためには対称になるものが必要。そこで大胆さと緻密さのバランスを考えた。僕の作品はそのバランスが絶妙だから面白いと思っていただいているようです。