木版画をはじめガラス絵、板絵などの絵画作品からポスター、カレンダーに至るまで幅広いフィールドで、精力的に作品を生み出し、“現代の北斎”“日本のピカソ”とも称される木田安彦氏。そんな彼の木版画作品とガラス絵を公開する展覧会「木田安彦の世界」がパナソニック電工 汐留ミュージアムで開催中だ。木田氏最後の木版画作品になるといわれる「西国三十三所」について木田氏ご本人に話をうかがった。
――「西国三十三所」がご自分の最後の木版画作品になると思う、とおっしゃられていますが、それはなぜですか?
木田氏:僕は版画家といわれていますが、版画にこだわってるわけではなくて、ガラス絵も日本画も墨絵も焼物もやってきた。版画は、僕が描くいろんな絵の中の1つのジャンルというか、テクニックですね。僕は多作なので、制作した版画作品の量も半端やない。そろそろ卒業して肉筆に移ろうと思っていた。実はこのことは、僕の先生(田中一光氏・日本のグラフィックデザインの第一人者)からも言われていたんですよ。「今、日本の絵はおもしろくないから君が頑張らなあかん。君は十分版画を彫って満足しているはずだから、これからは肉筆一本にしなさい」と。しかし、自分としてはフィニッシュをバシッと決めないことには「はい」とは言えない。田中一光先生が亡くなられて数年後、この「西国三十三所」を制作することになったわけです。
――「西国三十三所」をテーマにされたのはなぜですか?
木田氏:霊場を描くのは、舞妓さんの顔や花の絵を描くのとは違って、知識も必要やし、やれる年齢というのがあると思うんですよ。たとえ若い時の感性で制作しても、所詮、そのレベルのものしかできない。僕も若い頃からいずれはやるだろうと思っていたのですが、自分にはまだ知力や筆力(技術)が足りん、いい作品に仕上げるには知力や筆力を蓄積せなあかんと思っていた。ところが、この2つは年がいけばいくほど増えるが、体力はどんどん落ちていくわけです。その上、僕の場合は右眼を悪くして、視力がどんどん落ちていった。ただ、その反面、気力がみなぎってきたんです。体力や視力の低下を、この気力でカバーできるのではないかと思い、「今や」と思って取りかかったのが2004年、還暦を迎えた頃です。