しまいには「そんなに勝つためだって言うんなら、太平洋戦争には巨人ファンがみんなで行けばよかったんだ。そしたら勝ったかもしれないよ」と脱線。今時のファンには理解しづらいだろうが、いかにも戦前の昭和10年(1935年)生まれらしいオチである。
もっとも、豊田さん本人はプロ入りする前の水戸商業時代からバントはうまかったそうだ。西鉄の三原脩監督から「打つか送るか、好きなようにしろ」と指示されて、併殺打となるのを避けるためにあえて自分からバントを選択、走者を進めたこともあったという。
選手のみんなに尻を蹴飛ばされる
「そしたら、ベンチに帰ると、選手のみんなに尻を蹴飛ばされるんだよ。なんで打たんとか! バントして負けたらどうすっとか!って。昔(福岡が本拠地だった時代)の西鉄だろう、当時は博多出身の気の荒い選手が多かったからな。本当に怖かったもんだよ。昔の2番はそうやって鍛えられたわけさ」
奇しくもその豊田さんが病床に伏したころから、メジャーリーグの影響もあって、日本のプロ野球でも攻撃的な2番打者が増えた。かつての巨人・土井正三(故人)、川相昌弘(現三軍監督、世界犠打記録保持者=533個)らに代わり、ヤクルト・川端慎吾(昨季首位打者=3割3分6厘、最多安打=195)、広島・菊池涼介らのように走者のいる場面でもほとんどバントせず、積極果敢に打って出る野球が主流となっている。そんな野球を豊田さんが見たら何と言っていただろうか。天の邪鬼な人だったから、素直には褒めないかもしれないが。謹んでご冥福をお祈りします。
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