2024年11月22日(金)

家電口論

2016年10月6日

ソニーをおかしくたプレジデント制

 あれだけ強かった技術が、どうしてソニーから抜けたのかを、考えてみた。

 1994年ソニーはプレジデント制(社内カンパニー制)を導入。プレジデント制は事業部長の権限を高め、事業部毎の独立性を高める効果がある反面、自分の任期内に儲けを大きくするとなると、余分な開発の中止、営業余力の削減を行う。選択と集中というと大層格好はいいのだが、長期に渡る研究は芽が出る前に摘まれることもある。特に自分の任期後に芽が出る研究、そこで自分より後任の評価が高くなるとすると、嫉妬で止める可能性も否定できない。

 そんな中、中央研究所が解体された。ソニーはデバイス系を中央研究所、製品系を事業部付きの研究所と分けていた。事業部付きの研究所は、新製品が発売されるたびに大なり小なり成果が出るが、基礎研究ともいうべき中央研究所は、成果が出にくい。プレジデント制は成果を競わせて、より高みを目指すことが目的だが、基礎研究は、はっきり言うと市場ではなく、真理と向き合う形。当然時間もかかり、プレジデント任期の間に芽が出ると確約などできない。その上、成果給では、技術を明確に見通せる人でないと正確な評価もできないのだ。

 90年代後半に中央研究所は解体され、技術者は各事業部に引き取られたそうだ。当然、それを潔しとしない技術者もいたそうで、その人たちは退職。その技術者の大半をパナソニックが買ったと言われている。

 さて、盛田氏が会長から降りたのが1995年。創業者がいなくなった瞬間から、開発に金が掛かる技術は阻害され、ソニーには、画期的なモノが出せなくなってしまう環境になってしまったと言える。逆に、2000年以降のパナソニックは、技術的に強いモノが多いように思う。プラズマテレビは事業的には失敗したが、「テレビは直視型の方がいい」というポリシーで最後まで戦い抜いたわけで、これはソニーのβの戦いぶりを彷彿とさせる。VHSで3倍モードを支持。技術より、ユーザー判断を重んじたパナソニックとは思えない。


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