過激派組織「イスラム国」(IS)が終末前の最終戦争が始まる地として宣伝してきた伝承の地、シリアのダビクから戦わずして逃走した。ISは預言された戦いの条件が整っていなかったと弁明に躍起になっているが、モスル奪還作戦の開始など戦場で追い込まれる中、中核となってきた根本思想も化けの皮がはがれてきたようだ。
「ダビクは幻想だった」
ダビクはシリア北西部のトルコ国境に近い人口3000人にも満たない村の名前だ。これといった特徴のない村が注目を集めるのは、この地がISの思想の根幹となってきたからに他ならない。1昨年の8月、ISがダビクを占領した時、彼らのツイッターなどソーシャル・メディアは喜びで沸き返った。
というのも、ISはダビクを特別に意味のある決戦の地としてきたからだ。イスラムの予言者ムハンマドの言行録(ハディース)によると、イスラム軍は同地で「ローマの軍」と衝突する。「ローマの軍」は80の軍旗を掲げた大部隊だが、イスラム軍が打ち破る。しかしイスラム軍はその後の戦いで敗北し、エルサレムに追い詰められるが、終末が近づく中、ハルマゲドン(最終戦争)に奇跡的に勝利する、というのが大まかな筋書きだ。
ISはこのダビクの戦いを、現代の彼らの戦いに置き換えて正当化、イスラムの教義体系に記されている物語から都合のいい部分だけを引っ張り出して自分たちに神秘性を与え、世界のイスラム教徒に喧伝してきた。ISの機関誌「ダビク」もこの地にちなんで名付けられた。
ISの前身組織の創設者だったアブムサブ・ザルカウイもかつて「ダビクで十字軍を焼き尽くす」と述べており、ダビク信仰はまたたく間にISの末端の戦闘員にまで広がった。
彼らにとって「ローマの軍」とは“十字軍”、もっと言えば、米主導の有志連合であり、ダビクは伝承で記されたように勝利を約束された地だ。ISは「ダビクでの最終決戦はもう目の前に迫っている」と高らかに宣言して、戦闘員や支持者らを鼓舞してきた。彼らにとってダビクは欧米との戦いの代名詞であり、それだけに象徴的な意味を持つものであるはずだった。
しかし10月16日、トルコ軍に支援されたシリア反体制派が3方からダビクに迫ると、同地を死守していた戦闘員約100人は戦わずに逃走を図った。このため米軍機が2度に渡って逃走車両などを空爆した。戦闘員の一部は東方のISの首都ラッカにたどり着いたという。
米紙などによると、ダビク制圧作戦に参加した反体制派司令官の1人は「ダビクのシンボル的な意味を考えると、激しい抵抗が予想されたが、拍子抜けした。ダビクは幻想だった」と驚きを表明した。同司令官らによると、ラッカのIS本部はダビクの残留部隊に増援を送ると再三約束したが、増援が来ることはなかった、という。ISはダビクを死守せず、あっさりと捨て去ったのだ。