先月27日、中国共産党第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)が恒例のコミュニケを採択して閉幕した。コミュニケは共産党総書記であり国家主席の習近平氏を「党中央の核心」の指導者と位置づけたことで、習氏への権力集中が一段と進んだのではとの観測が国内外で広がった。
確かに、「核心」という位置づけは共産党最高指導部における習氏の突出した立場を強調するものであるから、彼の政治的権威を一段と高める意図がそこにはあったと思われる。しかし果たして、習氏個人へのさらなる権力集中は今後もスムーズに進むこととなるのかといえば、実はかならずしもそうとは言えないだろう。コミュニケの全文を丹念に読めば、それがよく分かる。
「核心」と同時に習近平に対する批判や牽制も
習氏を「核心」と位置づけたコミュニケの文面は、冒頭と最後の2カ所であるが、実はその間の部分ではむしろ、習氏という「核心」に対する批判や牽制と受け止められるような内容が盛り込まれている。
たとえば、党の「民衆集中制・集団的指導体制」に関して次のような言及があった。
「民主集中制は党の基本的組織原則であり、党内政治生活が正常に展開されることの重要な制度的保障である。集団的指導体制の堅持と、集団的指導と個人的仕事分担の結合は、民主集中制の重要な構成部分である。いかなる組織、個人は、いかなる状況においても、いかなる理由を以てしても、この制度を違反してはならない」
ここでいう「民主集中制」とは、レーニンによって発案され、かつてのソ連共産党と今の中国共産党が掲げるところの「組織活動の大原則」である。「批判と討論の自由の保障の上に行動の統一を厳守する」という、かなり矛盾した「原則」であるが、今までのソ連共産党や中国共産党の実際の党運営においては、むしろその都度の政治状況によって、「民主」の部分、すなわち「批判と討論の自由」の部分を強調する時と、「集中」の部分、すなわち「行動の統一の厳守」を強調する時がある。