そして李首相サイドからすれば、習主席のこうしたやり方は、首相としての李氏の管轄分野に対する過剰な介入となっているが、まさにこのような背景があったからこそ、前述の6中前回コミュニケにはわざわざ、「集団的指導と個人の仕事分担の結合」の一文を入れて、習主席の手法を暗に批判したと同時に、首相の立場を守ろうとしたのであろう。
実は習主席の李首相の職務遂行に対する「妨害行為」は外交の分野にも及んでいる。中国の場合、首脳外交は本来、国家主席と首相の二人三脚で展開していくものであるが、習近平政権では、習主席は首脳外交を自分の「専権事項」にして、国際舞台で「大国の強い指導者」を演じてみせることで自らの権威上昇を図った一方、本来なら首相の活躍分野の一つである外交において李氏の権限と活動をできるだけ抑えようとした。その結果、たとえば今年の上半期において、習主席自身は7カ国を訪問して核安全保障サミットや上海協力機構などの重要国際会議に出席したが、同じ時期、李首相は何と、一度も外国を訪問しなかった。
そして習主席は就任以来すでに2回にわたり訪米したのに対し、李氏は2013年3月に首相に就任して以来現在に至るまで、首相としてアメリカという国を公式に訪問したことは一度もない。国家主席と首相との格差があるとはいえ、李首相の外交活動はかなり制限されていたことが分かる。
李克強の外交面での活躍がクローズアップされる
状況が大きく変わったのは、今年9月に入ってからである。同7日から、李首相はラオスを訪れ、中国・東南アジア諸国連合(ASEAN)(10+1)首脳会議、東アジアサミットなどの一連の国際会議に出席した。
その中で李首相は、合従連衡の外交術を駆使し、中国のアキレス腱(けん)である「南シナ海問題」が焦点として浮上するのを封じ込めるのに成功した。
その直後から、中国国内では、新華社通信と中国政府の公式サイトを中心にして、李首相の「外交成果」に対する賞賛の声が上がってきた。「李首相は東アジアサミットをリード、中国は重大勝利を獲得」「首相外遊全回顧、外交的合従連衡の勝利」など、李首相の帰国を英雄の凱旋(がいせん)として迎えるかのような賛美一色の論調となった。
今まで、外交上の「成果」や「勝利」が賞賛されるのは習主席だけの「特権」となっていたが、今夏までの数年間、首相としての外交活動すら自由にならなかった李氏がこのような待遇を受けるとはまさに隔世の感がある。
その間に一体何が起きたのか。1つの可能性として推測されるのは、今年8月に開かれた恒例の「北戴河会議」において、習主席の内政・外交政策が各方面からの批判にさらされ、習氏の勢いがかなり削(そ)がれたのではないか。