2024年11月22日(金)

ネット炎上のかけらを拾いに

2017年3月7日

 彼女の意見陳述を読んで筆者は全くそのように思わなかったが、Y氏はここからも「気のキツい子」と感じたという。

 執拗にSNS上で粘着され、恨み言を一方的にぶつけられる精神的苦痛。それをブロックすることが「気の強さ」だろうか?  結果的に刃物で刺されて重傷を負い、裁判でその悔しさを述べることが「気のキツい子」と言われなくてはいけないのだろうか? あまりにも理不尽ではないか。

 「気が強い」という言葉が男性に対して使われることは少ない。これは女性に対してネガティブな意味を込めて使われることが多い表現だ。ここにそもそも性差を感じるが、さらに、このような件で女性に対して「気の強さ」という表現を使うY氏の女性観、ジェンダー観に危ういものを感じる。

 Y氏は「気のキツさを責めている訳ではありません、ならばそれを貫く覚悟と、トラブルシューティングがちゃんとできていたのか?というところだけが、どうしても疑問です」と書いているのだが、要は、自分の「気のキツさ」がどういった災禍をもたらすかを考えていたのかと言いたいのだろう。

 たとえばこれが被害者と加害者の性別が逆だった場合に、Y氏は同じことを言っただろうか。刺されたのが男性で、ストーカー行為をしたのが女性だった場合だ。女性ファンをブロックする男性シンガーのことを、Y氏は「気が強い」と表現しただろうか? 刺されたことを、気のキツさを貫く覚悟とトラブルシューティングができていなかったからだと言っただろうか。

 恐らく言わないだろう。Y氏は、“男性”に連れない態度を取った(とY氏が感じた)“女性”だから、「気が強い」という言葉を使ったのだ。

自分を特権階級だと思っている人たち

 筆者がY氏の発言から感じるのは、「たとえ何をされたとしても男に反撃する女は気が強い」「その気の強さにはリスクがあって当然だ」といった意識だ。女は男に反撃すること自体にリスクがあるのだから、そうするべきではない。反撃して何かあったとしたらそれは本人の落ち度。こういった考え方が女性蔑視でなくて何なのだろう。女に生まれたなら男の機嫌を伺いながら生きていけ、さもなければ殺されると言っているのだ。

 Y氏はブログが炎上した後に投稿した「判官びいき」というエントリーでは、

「たとえば僕がネットでアンチを散々煽ったとして、それで刺されたらみんな「ざまぁみろ」って言うんでしょ? 同情はどれだけ来るの? 結局それが君らの勝手な気分、機嫌なんでしょ?」

 と書き綴る。


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