次世代を生きる子どもたちのためです。子どもたちが、一人で歩き出すその日まで、先に生まれた一人の人間として、後から歩いてくる子どもたちのために、惜しみなく力を発揮して欲しいと願わずにはいられません。~
このような覚悟を持って、大人が子どもたちに襟を正して正面から向かい合う。その上で、子どもたちが一人で人生を歩いていけるようになるために必要なことを考え抜き、それをきめ細かく教えていく。本来はこのようなことが「当たり前」に行われることを「教育」と呼んだのかもしれない。そして、この「当たり前」が「特別なこと」になりつつある現在、「言葉や文字の非力さを感じていた私は、行動をもって提言する道を迷うことなく選びました」という天野園長の行動が形となった風の谷幼稚園。ここでは、この基本に立ち返り、それを実践することで、大人の都合がまかり通る幼児教育に強いメッセージを発し続けているのである。
風の谷の教育は
「大人も学ぶ幼児教育」
筆者が風の谷幼稚園を初めて訪れたのは12年前になる。当時、起業雑誌の編集者であり「日本の教育を変える起業家」というテーマで取材先探しをしている中で、風の谷幼稚園の設立を伝える新聞記事を目にしたのがきっかけだ。「起業家」という言葉からはどこかビジネスの雰囲気が漂うのだが、当時は「自分で何かを立ち上げ、新しい挑戦を始めた人」を幅広く起業家と定義し、「教育」というテーマで挑戦をしている人を特集しようと考えた。そして、多くのリサーチを行った結果、興味を掻き立てられたのが風の谷幼稚園だった。
これがご縁となって、天野園長の幼児教育への情熱やその行動力に興味と共感を覚え、毎年何度か幼稚園を訪れるようになった。それから12年間、取材とプライベートを合わせてこの幼稚園に通う中で、大人である自分が多くのことを学ばせていただくこととなった。
例えば、本連載にも何度か登場した1400坪に及ぶ「えのき広場」ができたときのことだ。
開園前の時期、高台に建設中の校舎に向かう山道を歩きながら、「子どもたちが健全に育つには自然の遊び場が必要です。そのためにはこの土地を買って、ここに広場を作って・・・」と構想を語っていた天野園長。その当時、そのバイタリティは十分過ぎるほど伝わってきたが、その山道は雑木林の中のいわゆる獣道。広場をつくると言われても正直ピンとこなかったし、失礼ながら聞き流していたのである。
しかし、2年後、その雑木林は本当に広場に生まれ変わっていた。事情を聞けば、園長自らが「自分は10年間無給」と腹を括り、バザーなどで得た資金はすべて教育環境の整備に注ぎ込むという方針のもと、土地を買収したという。そして、当時女性だけだった園のスタッフが、休日を使って自力で「開墾」を行ったのだという。これには本当に言葉が出ないほど驚かされた。そして、このような先生たちの背中を見て育った子供が「やればできる、と思えばできる」(密着レポート第1回参照)という言葉を発したのは、当然のことのように思えた。