2024年12月9日(月)

したたか者の流儀

2017年3月23日

 1981年の今ごろ、大統領選挙を間近に控えて世界で一番気をもんでいたのがフランソワ・ミッテランだろう。既に二度の大統領選挙に落選し、数年前には自分の子どもより若い名家の娘との間に子ども(マザリン)をもうけてしまい、現職の切れ者ジスカール・デスタンと大統領の座を争っていたのだから普通なら夜も眠れなかっただろう。

(iStock)

 その年の選挙では、日本でいえばビートたけしに当たるコメディアンのコリューシュ出馬騒ぎもあり、混乱を極めていた。今にして思えば、フランス共産党を取り込んだことによって、老獪なミッテランは最終勝利者となり、その後共産党は事実上雲散霧消してしまった。

 逆にミッテランは、二期14年間も大統領の座にとどまり、ドゴールと並ぶ戦後の人気政治家となった。そのミッテランは、反対言葉で言ったのかもしれないが、遺言で名前の使用を禁止している。したがって、ドゴールと比べて地名は少ない。わずかに図書館と川岸に名がついた。

 ミッテランとオルセーの学芸員となったアンヌ・パンジョとの間の娘マザリンは、小学校で自分の父は大統領だとクラスで言い張り母親のアンヌは学校から“虚言癖の娘”で呼び出しを受けたことがあるそうだ。

 最後まで、正式の離婚ができなかったミッテランであるが、フランス社会党幹部会では、アンヌ・パンジョが立て膝をついて指示を与えるのをミッテランが眼を細めて見ていたという証言もある。実際、国葬では正式に序列3位で家族として立ち会っている。

 ミッテランはコンコルドを多用した政治家であるが、来日の際は、娘を伴い改築前の高級料亭福田家に来ているようだ。仲居さんたちは、ミッテランがあまりにも“若い愛人”を伴ってきたので驚いたがさすがに他言はされなかった。

 ミッテラン以来の社会党出身の大統領フランソワ・オランドは不人気で二期目をギブアップしたことや台風の目、マリーヌ・ルペン女史のお陰で戦況は混沌としている。

 しかし、よく考えればフランスは常に混沌としているのだから心配はいらない。そのために第二回目の投票日が決まっているのだ。

 日本も含めて国外では、移民排斥のポピュリズムを心配しているが、そもそもフランス人などという人種はいない。フランスを本拠にしてフランス語を話す人はイスラムだろうが有色だろうがみんなフランス人なのだ。したがって国語にはうるさく英語のような許容度は少ない。それ以外の基準は寛容だ。平等は疑問だが、自由も博愛も山ほどある。


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