2024年12月22日(日)

したたか者の流儀

2017年2月24日

 外務省はアフリカ資源開発の調査を強化すると新聞に出ていた。石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)とコラボするそうだ。アフリカと言えば最近見ないアフリカ人がいる。

 ムルワカという名で背が極端に高いアフリカ人で、有名政治家鈴木宗男氏の秘書として一世を風靡したことがあった。それはそれとして日本の新聞は人口が12億人にもなったアフリカのことは書かない。知らないので書けないのかもしれない。行ったこともなく、親戚もいないので読者が興味を示さない。だから書かないのか。貢がせ女のアニータ取材では大挙してチリまで行くのに……。

 日本のアフリカに対する理解は世界水準でいえば小学生程度かもしれない。欧米の新聞はエース級記者が定期的に面白い話題を提供している。日本の新聞社は野口英世くらいしか思い浮かばないのであろうか。

 書かない利点もあった。たとえば、その昔コンゴという大国があった。そのうち国名はザイールだと言い出した。アフリカの真ん中にヨーロッパと同サイズの国として目立っていたが、今度はいつの間にかまたコンゴに国名を戻してしまった。いまのコンゴ民主共和国だ。団塊世代で学校時代、まじめに勉強した人はベルギー領コンゴとして覚えている人も多い。報道不足でザイールを知らない方が好都合でもあったという話。

 コンゴはベルギーのレオポルド国王がスタンレーに探検させて手に入れたので、首都はレオポルドビル(現キンシャサ)となった。下心は奴隷貿易であったといわれる。土地の人は奴隷にならずとも現地で厳しい搾取があり、象牙取りを命じられて未達だと手や足を切る懲罰もあった聞いた。

 ベルギーの首都ブリュッセルの郊外にアフリカ博物館がある。トラムでも行けるが素晴らしい森の道が出来ているので車でいければ最高だ。日本の自動車メーカーが宣伝の舞台に使っていたが、気がついた人は少ない。北海道富良野近隣の美瑛、ケンとメリーの丘を遙かに凌ぐ場所だ。そこにあるアフリカの品々を見れば、いかにベルギーがアフリカから恩恵を受けていたかわかる。国王は個人資産であったコンゴをベルギー政府に売り渡し、正式にベルギー領コンゴとなった。コンゴは、鉱物資源の宝庫だ。銅、コバルト、ダイヤモンド、ウラン、ラジウム、掘れば何でも出てくる。  

 1980年代当時、カセットテープで人気だった電子部品会社専務とベルギー・ブリュッセルの街中を歩いていると「ザイール政府商業代表部」の看板を見かけた。「白領コンゴか、うちでも5000万円近く買ってるな」と一言。意味不明であった。後に白とはベルギーのことでオランダが蘭というのと同じだと知った。もちろん、コンゴは当時のザイールのことだ。

 同氏は、日本興業銀行出身で東京大学卒のエリート。紹介するとき東京帝国大学卒といわないとご機嫌がわるくなる。戦後復興を成し遂げたビジネスマンはこんなものだろうと思って接していると、旧制高校出身のいい感じの匂いもしてくるから不思議だ。恐れ入ると、逆に陸軍戦車隊の話もぽろりと出てきた。


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