香港メディアのベテラン記者は、こんな見方を語った。
「12月7日に梁氏は中央政府から深圳に呼び出され、北京は梁氏の再任を支持しない、48時間以内に自分で不出馬を表明しなければ、我々が北京で発表すると伝えたそうです。その場に姿を表したのは、国家副主席の李源潮だったとも言われています。その場で梁氏は何時間も反論を試みたらしいのですが、最後は諦めたそうです。この決定は香港情勢を懸念した習近平が主導したと言われています」
ここで梁氏を取り替えるのであれば、本当ならば、梁氏とはまったく異なったタイプで、香港社会に好まれる人物を推すことが自然の流れである。親中派だが梁氏とはもともと折り合いが悪く、香港市民には明るいキャラクターで人気があり、金融都市香港の舵取りにも適した経済・財政政策のプロでもあり、反対勢力の民主派にも受けがいい財政官の曽俊華氏が、どう考えても適切な人材であった。
だが、梁氏の不出馬宣言の直後に、それまでは立候補をしないと言ってきた林鄭氏が出馬を再考する考えを示したところで、話がおかしくなり始めた。
曽氏は財政官を退任し、立候補の準備を進めたのだが、中国が推したのは曽氏ではなく、林鄭氏だった。もしも北京がバックアップしないのであれば、林鄭氏は出ることはなかっただろう。
林鄭氏は「梁氏の路線を継承する」などと語って、香港社会でのイメージは急落した。それまでは、それなりに有能だと目されてきた林鄭氏だが、中国が後ろについているとわかっては、大衆の人気を獲得できるはずがない。
江沢民派の巻き返し
この流れについて、香港のコラムニストである陶傑氏は、こう解説する。
「私の見方では、習近平の党内の権力掌握がまだまだ不完全だったため、江沢民派の巻き返しを許してしまったのです。江沢民自身の意向というより、香港での土地取引などで巨大なメリットを得ている江沢民時代に形成された党や政府、経済界の利権集団が、曽氏より操りやすい林鄭氏をトップに据えようとしたのでしょう。香港問題で『港独(香港独立)』勢力の台頭を絶対に認めないというのは、中国政治では絶対に反論できない主張です。米国とつながりがあって民主派にも近い曽氏がトップに就けば、独立運動が加速する恐れがあると、江沢民派が党内で触れて回った結果、習近平も文句をつけることはできず、最後は江沢民派が『彼女なら民主派や本土派に妥協しない』と推す林鄭氏に落ち着いたのです」
実際、香港問題は、長く江沢民人脈がコントロールしてきたことは公知の事実である。現在、香港問題の最高決定機関である共産党中央港澳工作協調小組のトップである張徳江・全国人民代表大会常務委員長も、江沢民系列の人物である。その意味では、いくら習近平氏が自らを指導部の「核心」と位置付けても、香港問題では完全には主導権を握れない形になっている。