オモロイ社長、オモロイ会社

2017年4月4日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

シリアルアントレプレナーは「結果として」

GLM小間さん

 「自分の起業家魂は、祖父の影響が大きい」と仰っています。起業について事細かく教わった経験はありませんでしたが、経営者だった祖父から生き様を教えられ、自然に起業していたと感じているそうです。起業家としての現在があるのもここに源流があると感じます。
最初の起業は、人材派遣事業でした。その理由は……。

 兵庫県で育った小間さん。今から20年程前、阪神・淡路大震災を経験します。その時に、自分が出来ることは何か? と考えて、震災で心までも傷ついた方々に向けて、かじっていたピアノの演奏を始めたそうです。そんな活動が広がっていき、ご家族の誕生日などの演奏も頼まれることになります。依頼が増えてしまい、自分では手が足りなくなってきた際に、ピアノの弾き手を紹介するようになります。これが人材派遣事業を行うきっかけでした。

 起業しようとしたわけではなく自然に事業を起こしていったそうです。個人事業主では限界もあることから、会社を設立する際に、震災の影響で休眠していた、祖父の会社を復活させ、そこから本格的にビジネスを展開していくことになります。

 そして2000年頃、転機を迎えます。当時、関東系の大手家電量販店が関西以西に拠点を拡大するところで、加えて米国のApple社をはじめ、多数の海外家電メーカーも日本国内に展開しようとしている時期でした。小間さんは、家電量販店に対して家電のセールスプロモーションができる人材を投入するビジネスを手掛けます。

 事業は時代の流れに乗り、10年で約20億円の年商まで業績を伸ばしたそうです。この頃の事業を通じて、国内外のモノづくり企業に触れた小間さん。メーカーとしてプロダクトを世に送り出すことへの「ワクワク感」に憧れ、「いつかはモノづくりを」と感じるようになっていったそうです。「人材関連からモノづくりに」と、ここだけをフォーカスすると関連性が無いようにも見えますが、携わる事業にのめり込む中で、結果として「繋がった」と感じます。

 GLMを設立して、日本初の国産スポーツEVを世に送り出し、2016年にはパリモーターショーで次世代EVスーパーカーを披露します。世界中の注目を集め順風満帆に見える同社。しかし、その裏はとにかく苦労の連続だったといいます。若き彼らが世界に羽ばたけたのは、なぜでしょう。それは同社のコンセプトにヒントが隠されている気がします。以下同社HPより抜粋。

☆自由 〜新しい体験をここから〜
 どうせ無理だと決めつけて挑戦を諦めたり、ありもしない天井を勝手に設定していませんか? GLMは「こんなこともできるのか!」と、思考の制約を外していきます。 今は非常識と思えることも、未来では当たり前。GLMは自らの手で新しい世界を切り開いていきます。
☆突進 〜必ずできるという根拠〜
 「クルマをつくろう」と動き出した小さなベンチャー企業に、多くの人が忠告しました。「できるわけがない」と。重厚長大な自動車産業の常識からすれば、それは当然のことです。 否定的だった方々はGLMの開発現場に足を運び、知りました。「もしかしたら本当に自動車を作ってしまうかも」と。 そして、同時に感じたのです、「ここなら、自分が作りたい面白いものが作れるかも」と。
☆仲間 〜GLMエコシステムの力〜
それぞれの強みを持ち寄るオープンなチームづくりをしてきたGLM。GLMは猛者が集まる場になりました。GLMの処女作であるスポーツEV「トミーカイラZZ」を生み出した時の開発チームはたった7人でした。これが実現できたのは、部品提供や開発、生産、販売、アフターサービスを支援してくれる100社以上の優れた企業が集まってくれたからです。この輪は今日も拡大し続けています。

 このコンセプトから新しい挑戦の連続を具現化されていくのだと思いますね。

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