だから、もうひとつ長年の習慣てことで言うと、僕、自分ではものすごくスタッフを大事にしようとしてるんですよ。
若い頃に照明の巨匠みたいな人についてしごかれましたし。そういう職人の権化みたいな人がどれだけ誇りをもって仕事をしてて、しかも仕事の表裏、なんにでも通じているんだってことをこの目で見ましたしね。スタッフからインフォーマルな情報がいつでも入ってくるようにしているってことは、とても大事ですよね。
隅から隅まで、スタッフを大事にしないといかんということは一番最初からものすごく心掛けていたんで、だから、助けてくれるスタッフは僕の場合、多いと思っているんです。とんねるずが2時間しかないぞというときは、あらかじめみんなに徹底して、2時間しかないからぜひこれでやってくれという話をしておけば、現実に達成できてしまう。あ、それともうひとつ大事なのは、広告主さんに「何だ、もう終わっちゃったの」と言わせないことですよね(笑)。
誰一人、置いていかない
浜野 そこにも中島流ノウハウがあるんでしょう。
中島 ハイ(笑)。
役者さん、広告主さん、どちらに接する場合でも結局同じですけど、どこまでいけば今日のところは合格ラインなのかについて共通理解に達しておくってことですかね。
それがまず一番。
で、僕らの側が先走らない。これが二番目。
撮影がうまくいったからってスピード上げていくと、広告主さんとか代理店の企画担当の方とかが、参加意識を持てなくなるんですよ。置いていかれたって思ってしまう。そうなるとこれはまずい。
これから取るカットはどこまで行けば御の字かってことをまず共有しておいて、その都度その都度、「いいですねえ」「素晴らしいのが撮れましたよねえ」って、その人たちと確かめあう。感動を共有しあっていく。
その挙句、皆さんに「ああ、何か良かった。世の中、楽しいな」と思っていただくということをやっていくと、もうその場はどんどんOKを出していけるわけです。
編集部 なあるほどねえ。後ろで見ているクライアントも、なんか自分でGOサイン出しているような気になるんでしょうね。そういう気分にさせるところが、中島マジックというか…。
そんなふうにして作ってこられたCMを、中島さんは海外のコンテストなどに多く出品されています。そこで伺うのですが、日本のCMには日本文化の刻印がやはりあるのでしょうか。日本人の感受性を表しているある種の特徴のようなものが。
日本のCMは日本文化の表れ
中島 あります。全く違うんですよ、日本のCMは、世界の中で。
僕が作っているのではお茶の「伊右衛門」とか。ほかの人の例だけど、JR東海の「そうだ、京都、行こう」みたいなCMね、あれ、海外持っていくと「で?」って言われるの。
「結論は?」って。思い出すのは芭蕉の「古池や」ですね。あれ、西洋へ持っていくと、池にカエルがバシャバシャ飛び込んでる、と。で、それがどうしたんだ、ってことになるんですってね。
「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音、アンド?」と聞いてくる。