2024年11月25日(月)

【特別企画】親子で楽しむ社会見学

2010年7月27日

 この墓マイラーの歴史も意外と古く、はしりと言われるのは、なんと作家の永井荷風だそうです。この人のお墓は雑司ケ谷霊園(都電荒川線の雑司ケ谷駅で目の前に降りられます。池袋から歩いても行けます)にあります。ここには、文豪夏目漱石のお墓もあります。漱石は大の愛煙家だったそうで、線香立てには、それを知るファンがタバコを立てていたりします。

 漱石の『こころ』に登場する乃木大将。(『こころ』は小学生の教科書にはまだ出ていない? あぁ、そういう可能性もありますが。他のお子さんに一歩先んじて、読ませておくのも良いのではないでしょうか……)。

 乃木希典の自宅が乃木坂にそのまま残っているので、こちらも合わせて、訪ねることをおススメします。お墓は青山霊園にあります。日露戦争で二人の息子を亡くし、戦後の講演会などでは「私が乃木であります。みなさんのお父さん、お兄さんを殺したのは乃木であります」(『斜陽に立つ』古川薫著、毎日新聞社)と謝罪し、最後は奥さんとともに明治天皇に殉じて自害するという、まさに心の人なのです。その乃木大将の周りには同時代の軍人のお墓が多いのは、そうした乃木大将を慕った人たちだろうかと想像してしまいます。

 東京都が管理する霊園に関しては東京都公園協会のホームページで概要を知ることができます。また、都立霊園では、管理事務所を訪ねると著名人が一覧となったマップをもらうことができます。これらのなかでも古いのが、江戸時代は美濃郡郡上藩(岐阜)青山大膳亮幸哉の下屋敷だった青山霊園。谷中天王寺の敷地等を東京府が引き継いだ谷中霊園。雑司ヶ谷旭出町墓地を引き継いだ雑司ヶ谷霊園。播州林田藩建部邸だった染井霊園で、明治7年(1874年)に開設しました。

 その後、大正12年には多磨霊園が開設されました。東京の人口が増加を続け市内の墓地不足が進行していたためです。ここも有名人のお墓が多いのです。首相では、大平正芳、岡田啓介、西園寺公望、斉藤実、高橋是清、田中義一、林銑十郎、平沼騏一郎。政治家では、テロに遭った人間機関車こと浅沼稲次郎。軍人では、最後の陸軍大臣阿南惟幾、最後の海軍大将井上成美、加藤隼戦闘隊の加藤建夫、乃木大将の盟友である児玉源太郎、日本海会戦の東郷平八郎、真珠湾攻撃の山本五十六など。文化人では、ミステリーの巨匠江戸川乱歩、『俘虜記』の大岡昇平、「藝術は爆発だ」の岡本太郎、芥川の友菊池寛、ノーベル物理学賞の朝永振一郎、『山月記・李陵』の中島敦、『サザエさん』の長谷川町子、『宮本武蔵』の吉川英治などなど。

 広島・江田島

 先の戦争から65年が経とうとしています。日本人のなかから、その記憶はどんどん薄れようとしています。時には「平和ボケ」などといわれることもあります。そんな時代だからこそ、夏に広島を訪ねていただくことをおススメします。広島は、浄土真宗が盛んなところで「安芸門徒」とも言われています。お盆が近くなると、お墓は、色とりどりに飾られます(また、墓の話かと思わず、少し聞いてください)。広島の墓地に行くと、「倶会一処」と墓石に書かれたお墓をよく目にします。これは、原爆で離れ離れになった家族があの世では一緒に過ごせますように、という願いが込められているそうです。夏の広島を歩いていただきまして、今一度、今の平和の大切さを実感していただければと思います。

 広島は、戦前「軍都」といわれていました。広島城には、陸軍第五師団司令部があり、広島の宇品港は外地への出兵拠点でした。そして、その広島湾に浮かぶのが、江田島です。江田島には、海軍兵学校がありました。いまは、海上自衛隊の学校として使われています。昨年末にNHKの大河ドラマ『坂の上の雲』で秋山真之役の本木雅弘さんが、ここで学ぶシーンが出てきました。

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