日本映画史上、最初のスーパースターは尾上松之助(1875〜1926年)、愛称”目玉の松ちゃん”である。岡山市中区西中島町出身。関西で人気のあった歌舞伎の一座をひきいて、一座ごと京都で映画に出演し、大正時代をつうじて1000本のチャンバラ映画で英雄、豪傑、忍者などを演じた。目が大きかったために”目玉の松ちゃん”と呼ばれたというが、歌舞伎の荒事の睨む演技などをよく演じたのが子どものフアンたちには印象的だったのではなかろうか。いま残されているフィルムを見るとそう思う。なかなか人格者で質素に暮らして福祉事業に大金を寄付した。京都で行われたお葬式には葬列が25町に及んだと言われる。
喜劇俳優の長門勇は倉敷市出身である。高校を中退して旅まわりの芝居に加わって上京し、浅草でコメディアン修業をした。テレビの「三匹の侍」で岡山弁でとぼけたセリフを言う剣客の役で売り出した。
1960年代に大映でいかにも二枚目らしい美男スターとしてたくさんの時代劇やメロドラマに出た本郷功次郎が岡山市北区表町の出身である。
おなじ頃 に東映の犯罪映画で悪役をさかんにやって注目され、味のある脇役として今日に至っている八名信夫は岡山市西中山下町(現岡山市北区中山下)の出身。最新作は日本映画学校と北京電影学院、韓国フィルムアカデミーの学生たちの合作による大作「3つの港の物語」(2009年)で、はじめての主役ではじめての善人の役。見事な演技である。
(「3つの港の物語」より 写真提供:横浜アートプロジェクト)
苫田郡鏡野町出身の大和武士は、本来はボクサーで、映画「どついたるねん」(1989年)でおなじくボクサー出身の赤井英和と共演してすさまじい打ち合いを見せてから映画俳優にもなった。殺気を内に秘めたような役にいい演技が多い。
東映時代劇の全盛時代に、時代劇の女役をなんでもこなして大活躍した千原しのぶ(1931〜2009年)は久米郡久米町(現津山市)の出身。じっと辛さに耐える日本的なドラマの女を演じるととくに名演が多い。
その東映で時代劇が作られなくなったあとに、香港のカンフー映画に対抗するような、女の演じるアクションものという新しい路線を生み出した女優が志穂美悦子で、西大寺市(現岡山市)出身である。「女必殺拳」シリーズなどがある。
若手の第一線ではまず津山市生まれのオダギリジョー。「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン」(2007年)、「ゆれる」(2006年)、「血と骨」(2004年)など、一見線が細いようで強靱さもある今日的な二枚目だ。
岡山市出身の甲本雅裕も第一線でバリバリ活躍中。「花のあと」(2010年)や「リンダリンダリンダ」(2005年)など、デリケートなセンスがいい。