サイバー空間の権力論

2017年6月28日

»著者プロフィール
閉じる

塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

 フェイクニュースや検索のジレンマ問題を前に、筆者には「ググレカス」という言葉が浮かび上がる。ググレカスとは、検索すればわかるような質問をされた時に「グーグル検索=ググる」ように返答する決まり文句であり、『現代用語の基礎知識』の2008年版に選出されたネット用語だ。だが昨今のウェブ社会は、検索しても誤った情報を掴まされたり、SNSでリアルタイムにデマが飛んでくる時代だ。ネットの知識は簡単に信用できないが故に、「ググレカス」から「ググってもカス」の時代が到来しているのではないか。

 インターネット黎明期、2ちゃんねるに代表される匿名掲示板においては、情報の質は玉石混交であることが前提とされ、人々は最初から半信半疑の態度でネットに対峙していたように思われる。だがフェイスブックなど実名登録SNSが登場し、インターネット利用者は世界中で爆発的に増加。多くの企業やメディアがネットで発言し、一定の割合でインターネットが信頼に足るメディアとして捉えられるようになってきた。

 こうして情報を半信半疑に捉える態度が減少する一方、昨今のフェイクニュースの氾濫は、ネット上の知の基盤を再度大きく揺さぶっている。スタンフォード大学の調査では、若者がネット情報の信頼性を判断することが困難になっていることが明らかにされ、ますます「ググってもカス」な不透明な時代が到来している。

「ググってもカス」な時代をどう生きるか

 最後に、今回の検索のジレンマ問題を越えて、より広範な問題について指摘しておきたい。

 インターネットに限らず全世界的にメディア不審が広く浸透し、真実が不透明になっているが、一方で真実でも嘘でも、不透明な時代にあって人々は信じたいものを信じるようになったと言われる。昨今流行りの「脱真実(ポストトゥルース)」という言葉の意味は、真実が不透明であるというよりも、真実か嘘かの判断について人々の関心が払われなくなった状況を指すものだ。故に真実でも嘘でも、信じたい情報がますます検索され、自らの認識フィルターが強固になっていく(フィルターバブル)。

 検索システムがどれほど向上したとしても、我々が求める情報に、真実と嘘の判定基準を求めなくなっていくとすれば、医療情報であれなんであれいつまでも「不正確」な情報の氾濫は止まらないだろう(すでに何が「正確」であるかについての合意を形成することも困難な世の中だ)。この状況を改善しようとすれば、一見遠回りにみえても、検索システムやインターネットの構造と同時に、大衆心理や大衆社会論的考察が必要なのではないか。我々は何を知り得るか、何を為すべきか、何を望み得るか。検索問題と並行して、我々は我々自身について知る必要があるように思われる。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。 

関連記事

新着記事

»もっと見る