ストーンウォールの反乱
60年代には、ウェストビレッジにいくつかゲイバーが出現した。だが正式なアルコール類販売ライセンスを持たずに営業していたところもあり、定期的に警察の踏み込み調査を受けて、逮捕者も出していたという。
その一方、1967年にはコロンビア大学が全米の大学で初めて、生徒が結成したゲイ団体を公認するなど、徐々にリベラルな空気が社会に広がっていた時期である。
1969年6月28日、クリストファーストリートにあったゲイバー、ストーンウォールインで、恒例の警察の手入れが行われた。だがこの日は差別されることに飽いていたゲイの人々は怒りを爆発させて警官に立ち向かい、3日間暴動が続いたのだという。
英語でStonewall Riots, 日本語ではストーンウォールの反乱と呼ばれているこの事件。2015年に映画化もされたので、知っている人も多いだろう。
その1年後、ニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルスとサンフランシスコの4都市で、ストーンウォール事件の一周年を記念した初のゲイプライドパレードが開催されたのだという。
ゲイの人々の市民権「獲得のための」戦い
ストーンウォール事件をきっかけとして、同性愛を違法とするのは差別だという世論が徐々に高まり、ゲイの人権を訴える活動団体が次々と結成されていった。
それでもニューヨークでソドミー法が正式に廃止されたのは、なんと1980年とごく最近のことだから、驚いてしまう。(ちなみにアメリカ全体ではまだアラバマ、フロリダなどまだソドミー法が存在している州もあるが、2003年に合衆国最高裁がこの法の取り締まりは現実的には「プライバシーの侵害」であり、違憲とする判決を下した)
1981年にはHIV/AIDSがゲイ社会を中心に広がって人々を脅かし、再びゲイ社会受難の時期がはじまった。著者の知り合いのゲイの男性の中には、未だにHIVウィールスはFBIがゲイ撲滅のために開発し、広めたものだと信じて疑っていない人もいる。
真偽のほどはともかくも、ゲイの人々にとってこの陰謀説が真剣に受け止められるほど、彼らはオーソリティから差別を受け迫害を受けてきたということに違いない。