しかし、実際の名簿はそうではなく、霞が関全体の約600人になってしまった。筆者は、そうした仕組みでは、大臣らが能力ではなく政治的・恣意的に幹部公務員を選ぶことになりかねないと、Wedge(2009年10月号)でも指摘したが、その危惧は現実になったといえる。
菅官房長官は、人事は適材適所で行っているというが、具体的にどのような能力と業績に基づいて任命したのだろうか。幹部公務員は事実上の政治任用(後述)になっており、官僚たちは官邸の顔色をうかがい忖度に走り、イエスマンになっている。前述の前川前次官の発言は、こうした人事の状況を背景にしたものと言える。
公務員の任免の仕組みには、政治任用と資格任用がある。前者の代表はアメリカであり、大統領が省庁の局長以上を政治任用する。政治任用者は、いわば大統領の分身であり、大統領への忠誠を誓う。猟官運動は日常茶飯事で、ウォール街の金融機関の社長が財務長官になったり、選挙応援で尽力した者が登用される。ただし、部課長級までは、能力で選ぶ資格任用となっている。
後者の代表はイギリスやオーストラリアである。これらの国では、次官に至るまで公務員は資格任用が原則であり、特に幹部公務員の任命に当たり公募が重視されている。ポストごとに、最適な者を競争原理に基づき採用する。公務員には政治的中立性が厳しく求められており、公務員と政治家の接触は制限されている。大臣に実質的な人事権はない。大臣が一般公務員を直接任免すれば、公務員は忖度に走るからだ。なお、これらの国でも、政治任用の大臣顧問らがいる。
政治任用か資格任用かは、公務員の役割の違いである。前者では、公務員は政治家の分身として調整等の政治的な活動を行うが、後者では、公務員は分析や選択肢の検討を専門性に基づいて行い、それを決めるのは政治家である。いずれの国でも資格任用と政治任用があり区別されているが、日本は資格任用の一般公務員が政治的な調整をしており、ここに問題がある。
では日本はどうすればよいか。答えは、幹部公務員を競争原理に基づく任用にすることである。具体的にはオーストラリアが1980年代に行った公務員制度改革が参考になる。この改革で、次官を除く審議官以上は上級管理職として位置づけられ、全て公募となり、独立した選考委員会の審査を経て任命されることになった。ある役所に入ったからと言って、公募の競争に勝たないと、当該省庁で幹部になれない。