ある成年後見人の手記

2017年8月17日

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松尾康憲 (まつお・やすのり)

ジャーナリスト

1953年生まれ。76年共同通信社入社。87年から2004年まで北京特派員、上海支局長、ハノイ支局長を歴任。現在は放送報道局委員。著書に『現代ベトナム入門 ドイモイが国を変えた』(日中出版)、共訳書に『中国の禁書』(新潮選書)、『性愛の中国史』(徳間書店) 

 しかし、財産管理の中に「遺産相続の手続き」を無前提に込めるのは如何なものであろうか。家裁が仲裁も立ち合いもしない中で、見ず知らずの相手に大金を渡す務めの過酷さは既に述べた通りだ。一方で、身上監護から「介護や家事援助などの労働」「入院・入所時の身元引受、保証」「手術など医療に関する同意」「被後見人の死後の葬祭、埋葬、家財の整理など死後の手続き、相続手続き」を除外していることには、同意できない。現実は、こうはいかないことを私の実践が示している。ところで、この指針に従う場合、後見人は遺産相続にどう臨めばいいのだろうか?

潤いのない最晩年を誰が望むのか

 留意するべきなのは、親族ではない弁護士はじめ専門職が成年後見人らの多数を占めていくことの危うさである。専門職は、被後見人との間で共通の思い出があるわけでも、被後見人に愛情を感じているわけではない。すると、「しなくていい」と列挙されるようなことには手を出さないだろう。高齢となり自力で何もできなくなった被後見人の視点に立てば、見舞いも土産も期待できなくなる。金を貯めていても将来どう葬られるかも分からない。人は皆老いてゆく。こんな潤いのない最晩年を誰が望むのか?

 「成年後見制度は資産保全のための制度であり、『お世話をする』ための制度ではない」という、筆者に対する反論が法曹サイドからはあるかもしれない。しかし、現実に無力となった高齢者を抱え込んだ体験に基づけば、被後見人である伯母が倒れたら病院に付き添わねばならなかったし、医師は医療行為について私に同意を求めるしか他に人はいなかったし、亡くなったら遺骨を亡夫と共に葬りたかった。

 被後見人の、限られた条件下での喜びに意を用いるのは人道ではないか。ある法制度が、人道とそぐわないのであれば、その制度は尊敬されず、順守されないのも必然ではなかろうか。最高裁の調査でも、成年後見人を務める弁護士ら「専門職」による財産着服などの不正が、2016年に30件あり、被害総額は約9,000万円に上っている。

「後見人」ではなく「看取り人」

 私は資産保全を大目標にし、相続人にできるだけ多くの遺産を相続させようとする成年後見制度に代わって、例えば<高齢者看取り制度>とでも呼ぶような新制度が出来ればよいと考えるようになった。他者に依存してしか暮らせなくなった高齢者の資産を、当局から公認された「看取り人」が預かり、高齢者本人のアメニティ(心地良さ)を満たすように費消し、臨終後も本人の尊厳を守るべく責任をもって葬る。民法を改正し、この看取りの任務と遺産相続を関連付け、血族と姻族の差別は撤廃する。親族の誰もが看取り人を担わなかった場合は、遺産相続を放棄したものと見なし国庫に返納し、遺産を福祉目的に用いる。本人が意識のある間に、看取り人や遺産の使途を指定していたのであれば、尊重する。

 遺産の福祉目的使用など法律素人の暴論と思われるかもしれないが、2016年に成立した、10年以上放置された預貯金口座の金を福祉に回す「休眠預金活用法」をなぞっただけの話である。

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