カタロニアの海岸は“ただれた天国感”
南仏が“けだるい場所”だとすれば、カタロニアの海岸は“ただれた天国感”というものだろう。その自由さと、二重言語を逆手に取って、今後も宗教対立に根ざした攻撃がなされる可能性は多いことであろう。
統一言語という規範が外れてしまった地域への侵入は容易なものとなるのはベルギーですでに見ている。コロンブスのアメリカ大陸発見の陰に隠れているが、1492年はイスラム教徒が欧州大陸から放逐された年でもある。歴史は500年単位で転換するとすれば、徐々に失地回復の動きのようにもみえる。
コルドバのキリスト教カテドラルは、当初はイスラム教のモスクであった。再び、モスクになる可能性も秘めているという考えも完全に否定してはいけない。今後500年に向けて雨水が岩を穿つような変化を起こしつつあるのかもしれないから。歴史は、ダリの言葉のごとく「ダリの作品は誰にもわからない。ダリにもわからない」というジョークのごとくであるから。
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