2024年11月21日(木)

古希バックパッカー海外放浪記

2017年10月1日

(2016.6.18.~9.14 89日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

インドの田舎床屋で剃髪

 7月7日。朝散歩しているとカルパの集落のバス乗り場の近くに床屋があった。インドではなぜか床屋が繁盛しており田舎町でも常に客が数人待っている。カルパの床屋は1人しか待っていなかったので2メートル四方ほどの床屋に入り細いベンチに座った。狭い道の側溝のドブ水に撒いたクレオソートの臭いが鼻を衝く。

カルパの村の床屋は軒先を借りて営業

 なぜインドの床屋ではいつも客が待っているのかすぐに理由が分かった。インド人は髪の毛や髭が濃いので日本人の数倍は手間がかかるのだ。しかもインド男子はお洒落で注文が細かいようだ。客の青年が何か注文すると親爺は律儀に注文に応えようと鏡を見ながら慎重に鋏を入れていく。特に髭の形を整えるのは腕の見せ所らしく親爺は少し鋏を入れては客の反応を確認している。

 順番待ちに飽きてしまったので近くの露店を覗いたり靴職人や仕立て屋の手仕事を見物。床屋に戻ったら丁度前の客が終わったところだった。汚いタオルで首の周りを絞められて鏡を見ると耳がすべて隠れるくらい伸びており白髪が目立つ。さっぱり短めに散髪しようと「ベリーショート、プリーズ」と簡潔に命じてもみあげや耳の周囲もカットするように手真似した。

床屋のオヤジは意外と若かった。ニッポンのオジサンの剃り上げた出来栄えに注目

 親爺は電動バリカンで頭の周囲を剃り上げてゆく。さらに鋏でチョキチョキとリズミカルに刈り上げてゆく。頭頂部も律儀に均一化してゆく。さすがにインド人の癖毛剛毛を相手に年季を積んだらしく所作に無駄がない。どこか理髪師のプライドを感じさせる。

 親爺はなんの躊躇もみせずに頭髪を刈り込んでゆくがGIカットを通り越して托鉢僧のようになっても困ると少々心配を始めたところで「ミスター、オーケー?」と手を止めた。鏡には得度を済ませた年金生活者のオジサンが映っていた。

レコン・ピオの地元のオジサン達

どうして途上国を支援するのだろう

 7月7日。ローカルな食堂(ダバ)で夕食。90ルピー(≒160円)也。ドイツのハノーバー在住の大学院生カタリーナと一緒になった。彼女はハイデラバードで5カ月間調査活動をして、それから北インドを観光していた。

カルパの村のゴンパ(チベット仏教寺院)のマニ車

 カタリーナは調査活動の成果を修士論文にまとめるという。彼女は過去にもNGOのインターンとしてインドに滞在しており今回で4度目という。今回の調査のテーマは“NGOが提供する有料の水はいくら迄なら、どこまで、どういう理由で人々に受容されるか”という些か難解な内容である。

 NGOによる支援活動が持続可能で最終的に成果が地域に根付くかという観点から科学的に立証するというアプローチのようだ。

途上国支援の限界と危うさ

 バックパッカーをして途上国を歩いているとしばしば短期間のボランティア活動に参加したという日本の若者、特に女子に出会うことがある。天邪鬼な私は慈善活動的な善意や熱意だけで支援物資を提供することやボランティア活動することに何か疑問というか違和感を抱いていた。財源やマンパワーに限界があるから一時的な便宜供与に終わってしまうだろう。“有料だが安全な水”を普及させて地域の水問題を解決するというアプローチが持続的途上国支援のあり得るべき姿なのだと考えた。

標高3600メートルの高原の湖の畔の村ナコ

 7月8日。8時にカルパを出発、レコンピオ経由でナコに向かった。レコンピオでナコ行きのローカルバスを待っていたらカルパで知り合ったヨガ教師のロシア女子エレーナと途上国支援の研究をしているドイツ女子カタリーナと一緒になった。

カルパ村からヒマラヤの高峰を望む

 さらにポルトガル人のフリーター青年イバンも合流して4人でナコに逗留することになった。イバンは典型的なラテン系チャラ男のようでチャラチャラとおしゃべりをする。

 3時頃ナコの村外れのバス停に到着。バス停付近には雑貨屋、茶屋兼食堂があるのみだが、よく聞くと雑貨屋の奥にリカーショップ(酒屋)があるという。やはり酒屋はひっそりと人目を忍んで営業しているのだろうか。村を見下ろす高台にはチベット仏教のお堂があり、村落の家々にはタルパ(経文が印刷されたカラフルな小旗)がたなびいているので村全体がチベット仏教を信仰しているようなので酒には比較的寛容ではないかと期待した。


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