過激派組織「イスラム国」(IS)の首都、シリア北部ラッカの奪還作戦を進めてきたシリア民主軍(SDF)は17日、同市の完全解放を宣言した。ISにとって「国家」の象徴だったラッカの陥落は組織上の壊滅に等しい敗北だ。ISの「国家」樹立の”実験”は失敗だったのか。
反植民地主義のテーゼ提供
ラッカは2013年当初、シリア内戦の反体制派の牙城だった。ところが急速に勢力を拡大してきたIS(当時はISIS)が2014年初めまでに全市を掌握。事実上の首都として、統治システムの中心になり、拡大する同勢力の象徴的な存在になった。
ISはイスラムの聖典コーランの極端な解釈に基づき、市内に厳格なイスラム法を施行、不信心者とみなすイスラム教シーア派や異教徒を中心部の広場で連日のように公開処刑した。その上、ラッカ南方の山岳地帯をバックに、外国人人質にオレンジ色の囚人服を着せて、首を切断して殺害した。ラッカはISの残忍性の象徴でもあったのだ。
ラッカにはISの喧伝する「政教一致の理想郷」に憧れて世界80カ国以上からイスラム教徒の若者らが集まり、外国人戦闘員は一時、5万人にも上った。ISはイスラムの預言者ムハンマド時代のメッカからメディナへのヒジュラ(移住)にちなみ、全イスラム教徒はラッカにヒジュラするよう呼び掛けた。これに呼応して家族ともどもラッカに流入した外国人も多かった。
ISが一部イスラム教スンニ派の熱狂的な共感を得た背景には、「中東各国が西側列強の植民地にされ、欧米に虐げられてきた」という屈折した感情を持つ人々に対し、「イスラムの誇り」と反植民地主義の1つのテーゼを提供したからだ。ある意味、ISはイスラム教徒の琴線に触れる新しい“受け皿”になった、と言ってもいいだろう。
しかし、ISのあまりの勢力拡大は米国の危機感を高めた。オバマ前政権は有志連合軍を組織し、大規模な空爆に踏み切った。米国の軍事力をあなどっていたのか、それとも計算違いだったのか。いずれにせよ、ラッカの陥落でISの衰退は決定的になり、今後は一テロ組織としてシリア東部を中心に細々とゲリラ戦を続けることになるだろう。
指導者アブバクル・バグダディが2014年6月30日、イラク・モスルのヌーリ・モスクで宣言した「国家」樹立の試みは失敗だったのだろうか。確かに、わずか3年3カ月半で「国家」が消滅したことを考えると、失敗だったと言えるかもしれない。
だが、これだけ世界に衝撃を与え、人々を恐怖に陥れた集団は第2次世界大戦後初めてであること、またシリアとイラクでは組織的には壊滅が決定的になったものの、過激なIS思想が各地に拡散し、分派組織も多数できていることなどを勘案すると、彼らにとってはむしろ成功だったのではないか。
しかも、彼らの行動はその源流である国際テロ組織アルカイダにも影響を与えているように見える。9・11を引き起こしたオサマ・ビンラディンの息子であり、アルカイダの新しいスターとしてクローズアップされているハムザ・ビンラディンの言動からそれを読み取ることができる。
ハムザは最近の録音メッセージの中で、欧米へのテロを呼び掛け、その中で「車など入手できるものは何でもいいからテロの手段として使え」などと発信している。これは米空爆で殺害されたISの公式スポークスマン、モハメド・アドナニがアピールしてきたテロの手法だ。