コレクションのきっかけは青雲の志熱き青年の日、ふと目にした一枚の禅画でした。
そして功成り名を遂げた晩年にも、実業家には運命的な出会いが待っていました。
出光興産の創業地・門司に建てられた出光美術館をご紹介します。
出光というと出光石油。髪をなびかせた男の赤い横顔マークのガソリンスタンド。アポロ石油ともいっていた。最近は毛筆文字でただ「出光」となっているのが多い。ギリシャ神話のアポロンは、日の神、光輝く存在でもあるから、出光にそのまま通じている。なるほど。
出光美術館は東京の丸の内と、福岡の門司にある。門司港レトロ地区と呼ばれる一角は昔の港湾施設のあったところで、そこが平らになって、歴史的建物が再利用された観光スポットとなっている。出光美術館(門司)はそこの倉庫跡を改装して新しい美術館としている。だから外観は非常に質素だ。前は東京の丸の内以外に大阪と福岡市内にもあったが、その二つを統一して、この門司の美術館が平成一二(二〇〇〇)年に開館した。
創設者の出光佐三がまだ一九歳の学生のころ、仙厓の「指月布袋画賛」を手に入れたことに始まる。当時藍問屋を営んでいた父に頼んで買ってもらった。いまでこそ仙厓の名は通りのいいものとなっているが、当時はまだそんなに知られていなかった。
その絵とは、水墨画の、いわゆる禅画である。袋を片手に持った布袋さまが、横にいる子供といっしょに笑いながら天を指している。その脇に「を月様 幾ツ 十三七ツ」と文字が添えられている。筆触はいまいうところの下手うまタッチで、その度合いがかなり激しい。見ている方が一気に腰砕けになる。乱暴とか投げやりと紙一重だが、その紙一重の隙間に濃密なニュアンスが隠れていて、とにかく可愛いのだ。それを学生の佐三は父に買ってもらったわけだが、その父も曽祖父もよく筆をとって絵を描いたりして、文人肌の家系らしい。
この絵から始って、出光佐三は仙厓の書画を少しずつ買い求めていく。その後二六歳で出光商会を興す。石炭主流の時代に、いち早く石油時代の到来を察し、企業は出光興産へと発展するが、その一方で仙厓の書画の蒐集もふくらみ、それが田能村竹田などの文人画、さらに唐津の焼物などにも広がる。いずれも佐三の郷里の福岡、そして九州にゆかりのあるものだ。そう考えると、このコレクションには非常に率直なものを感じる。新しくこの門司港レトロ地区に美術館をまとめたのも、ここが出光商会の創業地であるからだ。
倉庫を改装した美術館の中は、すっきりとした近代的な空間が広がっていた。そこに突如としてサム・フランシスの色鮮やかな大作群が、ずらりと並んでいるのに驚く。古典ばかりだと思っていたら、いきなり現代美術だ。