2024年5月17日(金)

個人美術館ものがたり

2009年3月13日

 これは佐三の晩年の蒐集である。ニューヨークに行った際、美術評論家の東野芳明に薦められてサムのアトリエを訪ね、その作品に衝撃を受けた。それまで佐三のコレクションは日本、もしくは中国のものに限られ、洋画ではルオーの「受難」の連作群があるだけだった。それがいきなりサム・フランシスだから、見る方としては少し慌てる。

出光興産の創業者 出光佐三(1885~1981)

 でも佐三の買い求めた最初が仙厓だったことを考えると、急に納得がいく。仙厓はその何とも知れぬ乱暴な筆づかいに、見るものが何か試されているような、揺さぶられるようなものがあったのだ。そのことと、サム・フランシスの作品に出合ったときの衝撃は、そのままぴたりと重なるように思う。考えてみれば、サム・フランシスの作品は油絵具で描いた禅画なのだ。その作品には白い空白スペースが必ず中心にあらわれる。むしろその空白を崇めるために、周辺に鮮やかな色彩がある。ぼくがはじめて見たのは五〇年ほど前、東京にはじめてアンフォルメルの展覧会がやってきたときだ。フォートリエやアトランや、当時のアヴァンギャルド絵画作品が並び、サム・フランシスのものは、巨大な白いキャンバスに白い絵具だけでの筆触が躍っていた。

 佐三が最初に仙厓の絵に惹かれたのは、美的関心もさることながら、そこに人生訓のようなものを見たからだろう。造形の美にからめて、人生の美を究める、禅画とは正にそういうものだ。仙厓から入った美術品のコレクションが確実にふくらんでいきながら、一方で出光商会は出光興産へと確実にふくらんでいる。仙厓から始まる美術品への気持が、事業にも着実に反射しているように見える。出光佐三語録にも、出光の事業そのものが美しくなければならぬ、事業そのものが芸術である、というような言葉が散見できる。言うは簡単だが、そういう気風のようなものが、この会社の中には作られていったのだろう。

窓外の風景も再現された、往時の様子を伝える社長室

 ここは美術館なのだけど、会社の発展の歴史を説明する出光創業史料館が併設され、展示コーナーが、ずいぶん大きく取られている。それもこの「気風」によるものなのか。見ていくと出光佐三のことを社長とは呼ばず店主と呼ぶ習慣も、ちょっと変っている。出光商会時代の創業の精神の持続ということだろうが、店主という言葉に、お城の天守閣の天守という言葉を連想した。

出光商会時代に佐三が使っていた机と椅子

 じっさいに、その企業の沿革を展示する二階には、昔の社長室がそのままセットされている。天守閣だ。当時の東京丸の内のビルの一室。椅子やテーブルなどの調度品が、特に豪華というものではなく、時代を感じる。目を引いたのは窓の外だ。その当時の社長室から見える丸の内ビル街の風景が、そのまま原寸大の写真で窓にセットされ、それが裏からのライトで明るい。ほとんど外光の風景そのままが感じられる。よく見ると写真とわかるのだけど、ふと見ると、そのまま当時の丸の内の社長室にタイムスリップするようだ。その展示努力に、やはり店主を想う「店員」たちの気持が感じられた。

 出光佐三が亡くなったとき、昭和天皇が歌を詠んだということも、はじめて知った。
「国のためひとよつらぬき尽くしたるきみまた去りぬさびしと思ふ」
佐三自身は絵も書もやらなかったが、その力は事業の方に向けられたのだろう。

出光美術館(門司)

福岡県北九州市門司区東港町2-3 ℡093-322-0251 出光興産の創業者・出光佐三(1885~1981年)のコレクションを中心に展示する美術館。出光興産の前身・出光商会が誕生した地に同社の大正期の倉庫を改装、増築し、平成12年に開館。基本的には昭和41年に開館した東京の出光美術館と同様の展覧会を開催するが、人気の「仙厓」展など地元九州ならではの独自企画も催す。また、元が倉庫であった広いスペースを生かし、サム・フランシスの大作を常設展示している。佐三の生涯を紹介した「出光創業史料館」を併設。 

<開> 
10時~17時(入館は16時30分まで)
<休>
月曜(祝日および振替休日の場合は開館)、年末年始、展示替え期間
<料> 
一般600円 *併設の出光創業史料館は無料

◆「ひととき」2009年3月号より


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