世界一のロボット手術数を誇り、数々の心臓の難手術を成功させ〝神の手〟と称される心臓血管外科医、渡邊剛。医師生活の40年間で経験した手術はおよそ1万件。現在も年間500件超の心臓手術をこなし、その成功率は99.5%以上を誇る。
心臓血管外科医 ニューハート・ワタナベ国際病院 総長
1958年、東京生まれ。金沢大学医学部卒業後、同大学第一外科に入局。国内で研鑚を積み、89年より独ハノーファー医科大学胸部心臓血管外科に留学。帰国後、富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)に移り、2000年より金沢大学心肺・総合外科の主任教授に就任。05年より、東京医科大学心臓外科教授を兼任。14年にニューハート・ワタナベ国際病院を設立し、現職。(写真・中村 治)
名実ともに日本一の心臓血管外科医であるが、渡邊はどれだけ多忙でも患者と向き合い続けることを忘れない。
病院には24時間受付のメール外来を設けており、患者からの相談メールを渡邊自ら目を通し返信している。多い時には1日90件ほどのメールが届く。その中身は「他の病院では正中切開以外の手術は難しいと言われてしまった」「今の主治医から説明もないままに手術方法を決められてしまった」など、切実な内容ばかりだ。渡邊は患者が不安を感じる時間が少しでも短くなるようにと、休日であってもすぐに返信をしている。
なぜ、そこまでできるのか。渡邊を突き動かしているもの、そして彼が描く医療の未来とは──。
渡邊は1958年、東京に生まれた。医者家系ではない、ごく一般的な家庭で育ったが、教育熱心な母の影響もあり、中高一貫の男子校である麻布中学に入学した。
70年安保闘争など反体制ムードの高まりもあり、〝アウトロー〟なものに惹かれていた渡邊は、中学3年生の時、手塚治虫の漫画『ブラックジャック』と出会った。免許も持たない外科医が自らの腕だけで上り詰め、多くの命を救う姿に憧れた。
「純粋にかっこいいと思いました。私は頭脳の面では東大に行くような仲間に勝つ自信はなかったけれど、手先の器用さは誰にも負けないという自負があった。幼い頃、工作をしていて、父から『ない部品はつくればいい』と教わりました。そのおかげで自分で部品をつくったりと、細かな作業をすることが得意になりました。だから外科医としてなら勝負できると思ったんです。そして医学部であれば、どこの大学に行ってもやれることや評価は同じだと思っていました」
外科医を志し、金沢大学医学部へ進学。その後、心臓外科医である榊原仟の著書『心臓を語る』(主婦の友社)を読み、「生命の営みの根源」である心臓の分野に進むと決めた。
心臓外科医となった後、渡邊はただひたすらに腕を磨いた。当時の日本では症例数が限られていたため、経験を積むべくドイツに留学もした。
「語学の壁もあり、当初は孤独で辛い日々でしたが、研修外でも毎日のように市場で豚の心臓を買い、血管縫合の練習に明け暮れました」
地道な努力で腕を上げ、92年に帰国。富山医科薬科大学第一外科時代には「いかに患者負担を少なくするか」を追い求め、心臓を動かしたまま行う「オフポンプ手術」や、局所麻酔で行う「アウェイク手術」といった新しい手術方法を次々と開発していった。2000年、金沢大学の第一外科に教授として戻った渡邊に転機が訪れる。後に自身の代名詞ともなる手術支援ロボット「ダヴィンチ」に出会うのだ。