焼け焦げた鉄くずに燃え尽きた車、ひしゃげたトタンにむき出しの鉄筋……。
5月中旬、石川県輪島市の「朝市通り」で凄惨な光景を目にした小誌記者は、澄み渡る青空と、目の前に広がる惨状の違いに戸惑いを隠せなかった。
1月1日午後4時10分、最大震度7を記録した能登半島地震の発災後、観光名所の「輪島朝市」は炎の渦に飲み込まれた。約300棟、東京ドーム1個分以上の約5万800平方メートルが焼失し、輪島のシンボルは跡形もなくなった。被災地では水道や下水道、ごみ収集、道路など、さまざまな「生活維持サービス」の水準が低下し、混乱に陥っている。「当たり前の日常生活」が崩れるとは一体どういうことなのか、その世界から私たちが考えなければならないこととは何かを探るべく、小誌取材班は能登半島北部の「奥能登」に向かった。
シャワーが出たときには
涙が出るほどうれしかった
被災地では一時、約13万7000戸が断水し、配水管の応急復旧工事が行われた。状況は改善されたものの、各家庭に水道水を引き込む「給水管」の工事は滞っており、いまだに水が不通の家庭もある。
取材に応じてくれた多くの被災者は「重たい給水タンクを持ち運ぶ生活には疲れました」「シャワーが出たときには涙が出るほどうれしかった」など、「水道の重要性」について強調した。