「収集車に投げ込みプレスすると、黒い袋が破け、汚物が飛び散ることがあるので気をつけてください」
松井さんにこう言われ、小誌記者は収集車から3メートルほど離れた。それでも勢いよくはじけた汚物は記者の服に飛び散った。顔をしかめる記者を横目に、松井さんは淡々と収集を続け、次の集積所に移動した。
前出の中口さんは、収集員が汚物の跳ね返りを被る場面を何度も目撃した。
「それでも、彼らは『仕事ですから』と言うんです。心の中で『ごめんね、ごめんね』と何度も謝り、手を合わせながら見守っていました。本当に頭が上がりませんでした」
てんやわんやの建設会社
目先の「作業」で精いっぱい
舗道工事会社に勤める中野洋充さんの自宅は、朝市通りから一本海側の「浜通り」沿いに建つ。被災直後、津波を警戒し高台に避難したが、19時頃に車を取りに帰宅すると、道路を挟んだ山側のエリアは真っ赤に燃え上がっていた。眼前に広がる焼け野原を見つめながら中野さんは次のように話す。
「正直、ここが元に戻る姿は、現時点では想像できません。ただ、安心して暮らすために、がれきだけでも早く撤去してほしいです」
中野さんの自宅から約50メートル、重機の轟音が鳴り響く現場では、肌を真っ黒に焦がした3人の男性が延焼した配水管の取り換え・敷設工事を行っていた。水道設備業を営む川端光栄さんは「いつもは建設会社が穴を掘ってくれ、私たちは管の取り換えや修繕をします。でも、建設会社は今、手が回らない。だから、自分たちで穴を掘って管を通し、アスファルトで埋めなければならず、普段の何十倍も時間がかかります」と話す。
事実、輪島市の土木工事や建築工事を請け負う里谷組営業企画部の里谷光蔵さんはこう言った。「県道、市道の応急復旧工事など、てんやわんやです」。建設会社はあちこちの現場にひっぱりだこだ。
輪島市内を車で走行するのは、いつも以上に集中力を要する。建物や電柱は倒れ、マンホールは隆起し、道路にひびが入っている場所が珍しくないからだ。「『仕事がいっぱいあっていいね』と言われることがありますが、今やっているのは、穴が開いているところを見つけては砂利を流し入れるという目先の『作業』ばかりです。これからの公共工事の受注見通しや社員の生活などを考えると不安になります」と里谷さんは話す。