2024年12月13日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2022年11月14日

 「圧倒的な人口を誇る日本人や中国人などアジア人が、やがて欧米を攻撃し世界の覇権を握るのではないか」――欧州で生まれた「黄禍論」は、やがて米国に定着し、時に米外交にすら影響を与えた。そうした人種差別はオバマ元大統領の就任に象徴されるように薄れつつあるものの、決して消えてはいない。日米外交の重要度が増す今こそ、黄禍論の100年の歩みを振り返ろう
満州事変の1933年、万里の長城を占領する日本軍。日中が熾烈な争いを始めても、米国の「日中合同論」が消え去ることはなかった(近現代PL/AFLO)

 黄禍論というと、中国人を白人が嫌悪し脅威と見なす考え方や、日本人は中国人に間違えられたせいで巻き添えとして黄禍論の対象になってしまったという考え方も根強い。しかし、歴史を振り返ると、日本人がダイレクトに黄禍論のターゲットになっていたこともあったのである。今回はそれを見ていきたい。

転機となった第一次世界大戦

 1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が連帯して黄禍に立ち向かうべきと唱えた欧州列強が、お互いを敵として戦争を始めた。欧州が主戦場となったため、アジアをはじめとする植民地の防衛は手薄になり、日本はそれを奇貨として中国に対華21カ条要求を出すなど東アジアで急速に影響力を拡大させていった。

 そのような動きに危機感を抱いた米国のメディアは、日本が中国を影響下に置いた上で、西洋に歯向かってくる危険性を指摘した。ボストンの有力紙『クリスチャン・サイエンス・モニター』は、日本は小さい島国であるが、中国の人口と資源を欲しいままにしたなら、危険な大国となると警告した。

 このような黄禍論的発想は米国のウィルソン大統領にも共有されていた。米国の第一次世界大戦への参戦の可能性を話し合う閣議の中で、日中合同のような黄色人種の連合と将来戦うために白人国を強い状態に保っておく必要があるなら、「弱虫」と言われようが、対独参戦しないこともありうると発言したのである。ウィルソンが当時唱え、世界中の強国の支配に苦しむ人々を熱狂させた民族自決の考えも、主に東欧に向けられたもので、非白人に適用することは念頭に置かれていなかった。

 植民地の防衛が手薄になっていたのは英領インドも同様であった。この頃、インド独立派の動きを同盟国である日本が厳しく取り締まらないことに英国政府はいら立ちを募らせていた。独立派の一人であるタラクナート・ダスは来日し、日本はアジア全体の盟主として立たなければならないと宣言した。

 それに呼応する形で、上海のセントジョンズ大学の舫春宗は、日本が英国側に立って第一次世界大戦に参戦したのは間違いであったとするパンフレットを出版した。それによれば、日本は同じ人種である中国人と共にアジアのために共闘しなければならないというのである。日本人以外のアジア人からの日本をアジアの盟主として期待する発言の頻発に、米英のアジアの出先機関は、黄禍論が現実のものになるのではと危機感を募らせた。

人種差別撤廃案の挫折

 1918年に第一次世界大戦が終結し、パリで講和会議が開かれることが決まると、「五大国」の一つである日本がどのような態度に出るのか、モリス駐日米国大使は警戒を強めた。彼の見方は人種主義に彩られたものであった。ドイツから日本が戦争中に奪った中国の山東省の権益を巡って日中が鋭く対立していたにもかかわらず、人種差別撤廃を巡って同じ人種として日中が即時同盟を結ぶ可能性があると本国政府に打電したのだ。

 結局、日本がパリ講和会議中に提出した人種差別撤廃提案は、豪州を含む英国代表の強い反対もあり否決された。人種差別撤廃提案の通過を願って多くの大規模集会が日本国内で開催されていたが、いかに日本が臥薪嘗胆して富国強兵に励んでも、白人からは永久に対等には扱われないのかと日本国民を大いに落胆させた。


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