2024年5月2日(木)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2022年11月14日

 その後、日本政府が早々に米国政府に対する移民法に関する抗議をやめたこともあり、事態は沈静化していった。日本人にも移民割当枠を与える形での移民法修正運動が米国の民間人により自主的に進められていたことも、そのような流れに貢献していた。1931年9月17日にはスティムソン米国務長官が、自分の任期中に移民法修正を実現する見通しを出渕勝次駐米大使に語ったほどであった。

日中戦争勃発後も消えない「日中合同論」

 ところがその翌日、満州事変が勃発する。これを契機に米国の対日世論は悪化していき、移民法修正の機運もしぼんでいった。一方で、再び日本国内ではアジア主義の機運が盛り上がり、新しいアジア主義団体が作られていった。

 排日移民法制定直後に誕生したアジア主義団体が無名の民間人中心のものであったのに対し、この時期の団体は、有力な政治家や軍人が多く名を連ねているなど様相を異にしていた。黄禍論の火消しのため日本政府関係者が対外的な釈明に追われていた1920年代とは異なり、逆に彼らはアジアへの野心を露わにするのであった。

 満州事変を端緒とする日本軍の動きにより、海外で一つの文書に注目が集まることになる。いわゆる「田中上奏文」である。これは時の田中義一首相が1927年に昭和天皇に行った上奏を翻訳したものとされた文書であったが、文中に登場する人物が上奏の時点で既に故人であるなど誤りが多く、偽書であることは明らかだった。

 

 にもかかわらず、田中上奏文は、日本が欧米を含めた世界征服の手始めに、満州事変を引き起こした証左として利用されたのである。そこには、日本が世界征服を企んでおり、それにはまず中国征服が必要であり、中国の征服にはまず満蒙の征服が必要、と書かれており、それらの文言と実際の日本軍の活動があまりにも合致していたからである。これぞまさしく現代版のフェイクニュースの走りといえよう。

 その後、米国の黄禍論的見地からすると連携して白人に向かってくるはずの日中が、互いを敵として戦い始めた1937年の日中戦争の勃発は、黄禍論を巡る様相を大きく変えるかに思われた。実際、日中と手を携えて白人の圧政から脱却することを目指していたインド独立派の人々は、日中戦争の開始に大いに落胆している。

 しかし、一部の米国人はそうは見なかった。日本が中国を従える形での日中合同を予見したのである。1940年に汪兆銘の南京政府によって日華基本条約が結ばれると、日中合同がついに完成したとみなして恐怖する米国人も少なくなかった。

 今や日本が主対象となった黄禍論が現実のものとなったかに見える状況の中、ほどなくして日米が争う太平洋戦争が始まる。この戦争は果たしてこれまで黄禍論者が予見してきた黄色人種と白人種が正面からぶつかる人種戦争と化してしまうのだろうか。次回は太平洋戦争中の黄禍論を考察する。

『Wedge』では、第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年11月号の同連載では、本稿筆者の廣部泉による寄稿『今も米国に残る「黄禍論」 人種主義なる〝病〟と向き合うには』を掲載しております。
 
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