人の持ち味を生かして、効果的に伸ばしていくためには、まず何よりもその人自身のことを正しくつかまなければなりません。担当生徒の成績目標を最速最短で達成するために、最も大切なことは何かと、講師たちから質問された時に、私が常々言い聞かせてきたのも「指導を始める前に生徒とご家庭の状況をできるだけ正しく、詳しくつかむこと」です。
動き出す前の観察を徹底することが、その後の教え育てる効果を高め、結局は短期間での成果につながっていくのです。
ですから、限られた時間の中で一人ひとりに合った指導や子育てをするためには、「観察する力」を高めることがポイントとなるのです。
批評するときの主人公は「自分」
まず理解していただきたいのは、観察するとは「評価すること」ではありませんよ、という点です。
人を伸ばすために観察する時は、目の前の人をあるがままに「そうなんだ」と、フラットに見ることであり、気づくことが大切です。
フラットに観察するから、「あなたが目標をかなえるには、こんなことが役立ちそうですね」と、自分の引き出しを開けることができるのです。
行動するのは本人、結果を出すのも本人です。ただ、「あなたはそうなのですね」とあるがままに見る、聞く、感じるからこそ、手伝えることが見えてきます。
人が育つ手伝いをするのに大切なことは、評価することでも、指図することでも、トレーニングを強制することでもありません。
本人が自分で動き出せる方法や方向を見つけ出すことです。本人が自分で動き出してくれるからこそ、忙しく時間が限られた日々の中で、成長に関わることができるのです。
ですから見る時、観る時の心のポジションと、批評するときの心の持ち方とは全く違うということを理解しておきたいですね。
前者は、決めるのも動くのも本人自身ということを前提に、言いかえれば、自分が正しいと思うこと、そうでなければならないという信念は別の場所に置いたうえで、「あなたはそうなのですね」という見方をすることです。
一方、批評するときの主人公は「自分」。自分がどう考えているか、自分が正しいと信じていることは何か、自分が心地よいか不愉快か、といった基準で、相手を見てしまっています。それでも、「自分はこういう価値観なのですよ。それであなたは?」と、自分と相手とを区分していられるのであればいいのですが、自分が主人公になっている人はなかなか難しいものです。
その最たるものが、「親」かもしれません。「うちの子はまだ世間の道理が分かっていないのだから、親が教えてやらないと」と、わが子の気持ちや考えを尊重しているつもりで、自分の基準を渡し、自分の価値枠に当てはめようとしてしまいがちです。
見ているつもりで、見えなくなってしまうのです。
「自己愛」は取扱注意な感情
さらに観察の目を曇らせるのが、「自己愛」です。
「自分は特別な存在でありたい」「自分が中心でありたい」「人から大切に思われたい」という、誰でも持っている感情なのですが、取扱注意の感情でもあります。
人に接する時に、自分を分かってもらいたい気持ちが先に立ってしまうと、相手のことが見えなくなってしまうのです。また、相手の成長の手伝いをしているつもりが、関わっている自分を分かってもらいたくて、相手の成長に期待しようとする気持ちが生まれたりもします。
子どもに育ってもらいたいと願っているのに、気が付くと、親である自分がしていること、自分がしたことの成果に目を向けたくなる。
部下の成長を応援しているつもりで、上司の自分の力量を確認したくなる、自分が関わったことで成長したということを見たくなる。
観察の目が自分に向かってしまうので、育てたいと思っている目の前の人のことが見えなくなってしまうのです。