その人のことを見る、その人の気持ちや考えを聞くということは、よほど意識し続けないと自然にはできないものです。自分にとって、誰よりも自分のことが一番近くにあるから、観察の目が曇るということは、避けようがないものです。
特に、追われるように忙しい日々を過ごしている人は、自分のことを周囲の人からどれだけ見てもらえているのか、聞いてもらえているのか、満足できていない傾向にあります。安心できていないといった方がいいかもしれません。だから、目の前の子どものことを、部下のことを見たい、聞きたいと思っているつもりが、自分のことを見てほしい、聞いてほしいという願望に邪魔されてしまいやすいのだと思います。
中学受験の世界では、親が子どもの成績や受験の合否を、自分自身が採点されているかのように錯覚してしまう現象がよく問題視されます。子どものテストに一喜一憂して、自分の受験のようにのめりこんでしまう親御さんに、思い当たる節のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかしこういったことは、中学受験に限ったことではありません。
誰しも自分が人からどう思われているか、気になっているものです。より正しく言うなら、自分自身が思っていること、行動していることをゆがめることなくありのままに周囲の人に知ってもらいたい、受け入れてもらいたい、プラスの評価をしてもらいたいという気持ちがあるのです。
このような自分の「自己愛」を意識し、気持ちを整え、その後にいま関わろうとしている人を観察するようにしてみると、「フラットに見る」ということがとてもやりやすくなります。
「名選手名コーチならず」は「属人化の壁」のせい
もう一つ、人を伸ばす観察の目を曇らせるのが、「属人化の壁」です。
「できる人ほど、人をできるように育てることが苦手だ」と言われます。「名選手名コーチならず」なんて言葉もありますね。
それは、この属人化の壁があるからです。
「できる人」というのは、望ましい行動内容を人から示されるままに素直に受け入れることができ、さらにその行動の周辺部分も読み取り、学ぶことで、試行錯誤しながら自分で正しい行動を見つけ出そうとすることが、「できる」ものです。
そうした学習や試行錯誤を、意識的にも無意識的にもしてくることで積み上げた、自分自身の行動や考えの蓄積は、周囲からは目に見えない資源として、自分の中に隠れています。
「暗黙知」と呼ばれるものですね。
もしこの「できる人」が、自分の隠れた部分を意識した上で、相手の人を観察することが出来るなら、必要に応じて手助けやアドバイスが上手にできるでしょう。
「今の自分には分かり切ったことだけれど、この人の今の段階だと、手前で準備しておくべき行動リストが頭に入っていない可能性もあるな」と、さらに掘り下げて観察しようという意識を持つことができるからです。
しかし属人化の壁を越えられていない人は、相手の表面的なところだけを見て、「これでできるよね」と自分基準で伝えて、「あとは本人次第」という言葉で片付けてしまいがちです。
属人化の壁を破って、「自分なり」から「相手なり」の姿を観るように切り替えられた名選手だけが、名コーチになれるのです。