2024年11月22日(金)

ヒットメーカーの舞台裏

2010年10月27日

 バリスタに使えるネスカフェは、ゴールドブレンドと香りを追求した高級品の「香味焙煎」の「エコ&システムパック」という詰め替え用のみだ。コーヒーの香りを逃がさないようにした紙製の環境配慮型パックであり、これを瓶に詰め替える要領でバリスタのコーヒー収納部に差し込み、全量を移し替える。他メーカーの詰め替え用パックとの互換性はなく、バリスタが普及すればゴールドブレンドと香味焙煎の「エコ&システムパック」タイプの販売増につながるわけだ。実際、バリスタを扱っているスーパーの中には、ネスカフェの販売を3割程度伸ばしたケースもあるという。

 もうひとつ高岡がこだわったのは流通ルートだった。コーヒーメーカーは家電品だが、扱いは取引関係の長いスーパーを主体とし、あえて家電量販店は外した。しかもスーパーにはコーヒーも置かれている食品コーナーとするよう要請した。狙いはあくまでコーヒーの販売増だからだ。スーパーからは展示スペース確保の問題など当初は難色を示されたものの、販売実績が上がるに連れ、異論は消えていった。

キットカットの成功体験との共通点

 高岡は菓子部門子会社時代に、チョコレート菓子の「キットカット」を、受験キャンペーンなどの展開によって看板商品のひとつに育てた実績がある。消費者の間で生まれた「きっと勝つ」のフレーズにより、受験だけでなく、あらゆるシーンでの「お守り」商品として親しまれるようになった。キットカットも今回のバリスタも「新たなビジネスモデルへの挑戦」(高岡)が共通点だった。経営学を専攻した高岡は、学生時代から「後世に残るブランドを育てたい」と進路を定めていた。また、小学5年で父親を亡くし、父も祖父も42歳での早世だったことから、若いうちでも活躍できそうな外資系企業にしようとの悲痛な決意もあった。強力なブランドをもち、グローバル企業のネスレは理想の会社だった。

 ネスカフェは今年で日本発売50周年を迎えた。いまや日本は世界最大級のインスタントコーヒー消費国になっている。この記念すべき年に、バリスタはインスタント品を楽しむ新しいスタイルを提案した。購入者のうち、1割の人がそれまではインスタントを敬遠していた顧客だそうだ。高岡は「11年の販売は100万台を目指したい。日本国内でネスカフェは2500万世帯にご愛飲いただいており、潜在力は十分」という。バリスタを援軍にネスカフェは次の半世紀に向け、より強靭なブランドへと踏み出す。(敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 高岡浩三(たかおか・こうぞう)さん
ネスレ日本 代表取締役副社長

写真:井上智幸

1960年
大阪府堺市に生まれる。中学ではバスケット部に入るが、3カ月で退部。母子家庭で、公立の高校へ進まなくてはという思いもあり、勉学に専念。
1979年(19歳)
神戸大学経営学部に入学。中学時代に勉学と両立できなかったスポーツにのめりこむ。3年生の時には、テニススクールのコーチングスタッフとしてアルバイト。要点をまとめ、生徒にわかりやすく説明をするという経験をし、プレゼンテーション能力を磨いた。
1983年(23歳)
マーケティングに興味をもち、世界を舞台にして、後世に残るブランドを育てたいとネスレ日本に入社。最初は営業現場からスタートするというのが会社の方針であり、流通や消費動向など、その後に役立つ幅広い見識を養えた。入社と同時に英語の勉強のためにゴルフを始める。ゴルフコースでアメリカ人とプレーして会話力を身につけた。
2005年(44歳)
「キットカット」受験キャンペーンを成功させ、ネスレコンフェクショナリー(当時:菓子部門子会社)社長に。10年1月には、ネスレ日本副社長に就任。中枢部門である飲料事業の本部長としてネスカフェなどのブランド力強化に意欲を燃やす。10年11月1日付で会長兼社長に就任予定。

 

◆WEDGE2010年11月号より

 

 

 

 

 

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