東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年12月27日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

 視聴者とのキャッチボール。それをすることで、「現象」ができるし、いったん話題になったら――インターネットなんか当時はありませんから電車で「あれ笑ったよね」「泣いたよね」って話題になっているのを小耳に挟むといったことですけど――、それをメディアの力でもっと伸ばしていくことはできるんで。

 ドラマの衣装が流行りのファッションになって、着ている人が増えてきたりするとね。視聴率という“顔の見えない数字”じゃわからない手触りが世の中にあふれだしたりする。

 つまりそこにひとつの現象ができて、たくさんの人がその現象に進んで身を委ねてくるんだというところ。その肌触りはつかんだかもしれませんね。

 「トレンディ・ドラマ」というジャンル名がそうしてできるのですが、あれは僕らが自分でつけた名前じゃありません。「現象」に対する呼び名として、ほかのマスコミがつけたんですね。

 「ゲツク(月9)」だって、自分たちが言ったわけじゃないのに…。いわば周りがブランドをつくってくれたわけです。僕らは、恋愛ドラマが受けたので、同じ枠にはずっと恋愛ドラマを入れていこうよというくらいの感覚でした。

 今にして思うと、こういうことは僕らが学生時代、角川映画で体験してたことと同じだったんじゃないかと。

現象の“手触り”をつかんだことが、『踊る大捜査線』シリーズの人気の理由だ。主人公・青島俊作(織田裕二)が着ていたミリタリー風“青島コート”が流行ったのも記憶に新しい。

浜野 その延長で、映画に行かれた。

亀山 そうです。で思ったのが、「映画好きじゃない人、映画を長いこと見てないけど、僕らのドラマは熱心に見てた人」たちを呼びたいと思ったんです。だってそういう層が圧倒的に多いので。

 それこそ角川さんがやったことなんでしょうけど、僕らにもできると思いましたね。なんといってもテレビですから宣伝はそこでできるし。

ドラマの現場とかけもちで映画を作り始めた

浜野 「ロンバケ」っていう短縮形ができたってことは、時代をぱあーっと染めたような、まさに現象になったからこそなんであってね。それだけ成功したドラマのプロデューサーだったのに、なんのきっかけで「踊る」の「THE MOVIE」だったんですか。

亀山 いや、あ、これは会社ですね。やれっていう、ね(笑)。

 ロングバケーションが当たって、その次にテレビドラマとしてつくったのが「踊る」だったんですよ、最初の事情として言いますと。

 それをやりながら、横目でちらちら、フジテレビの映画事業を眺めてました。その頃既に、年間3~4本はつくって公開してましたから。でも、僕はテレビの人間なんだって思っていました。

 ただ、連ドラをつくるために、というのは当時のドラマは書き下ろしオリジナルの台本が多かったんですけど、そのための資料として、というか、題材探しのために映画はずっと見てはいたんです。

 なおかつ、僕らが学生の頃名画座で見た映画が続々ビデオソフトになったでしょう。家でもう一度検証しながら見られるので、それをよく見てました。

 このあいだ見たあの映画だけど、今に置き換えたらなんだろうっていうような話を、会社でスタッフとする、というような。

 もともと、「THE MOVIE」で仕事をする僕を含めた首脳陣3人は、3人とも映画好きだったんです。

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