2024年11月22日(金)

池内恵「中東の眼 世界の眼」

2011年1月18日

 40万人程度の、歴史の浅い小国の代表チームが、11年後にワールドカップ開催国として予選免除で出場することになるが、本大会でまともに戦えるようになるのだろうか。これまでにない実験と言える。

 大げさにいえば「世界史的」意味がある。オリンピックにせよ、ワールドカップにせよ、基本は「国民教育」としての体育の成果を競い、民族意識や国威を発揚するという意味があった。しかしそのような意味での代表チームの育成を、カタールが行うことはおそらく無理であるし、そもそも目指さないだろう。カタールは自国民を体育教育で鍛えるよりも、世界各地から有力選手を「買い集め」て、代表チームを強化していくだろう。すでに実績のある選手をクラブチーム招聘などを経て帰化させるだけでなく、南米やアフリカの発展途上国の若年層(さらには幼年層)に手を伸ばすかもしれない。軍事力や産業力の基礎となる組織だって訓練された国民を誇示することが近代スポーツの一つの機能だったとすれば、「傭兵」のようなカタールの代表チームは明らかにそれとは違う。むしろ世界から最良のものを買い集めてくる資金力や戦略的企画力こそがカタールが世界に印象づけようとするものである。カタールがワールドカップ本大会で勝ち進むことになれば、近代スポーツの原則を変える出来事になるかもしれない。

 スポーツをめぐるカタールの動きは、グローバル経済の中での湾岸産油国の経済行動に共通したものでもある。湾岸産油国は石油・天然ガスによる莫大な収入を原資に、世界各地から最高級の製品を買い集め、豪勢な都市インフラに投資している。近年は石油化学産業だけでなく、環境関連の先端科学技術開発や、農業にまで大規模投資を始めている。スポーツ・ビジネスもそのような湾岸産油国に依存せざるを得ない経済状況・政治環境が存在することを、実績と歴史の乏しいカタールをワールドカップ開催国に選んだFIFAの決定は示している。

 ブラッターFIFA会長は1月7日に、ワールドカップ・カタール大会は冬季開催(1月あるいは12月末)が望ましいと発言している。1月開催のAFCアジアカップは、ワールドカップ・カタール大会の実現可能性や問題点を探る試行期間とも言える。ここで現れた問題点を解決する技術や運営ノウハウを提供できる企業は、スポーツ・ビジネスの大きなチャンスを得ることになるだろう。

 筆者はかつて、カタールによる各種スポーツの国際大会招致や、外国人選手の帰化によるナショナル・チーム育成といった振興策を、WTO閣僚会議等の国際会議誘致や、国際衛星放送アル=ジャジーラの設立などと並ぶ、ハマド首長が自ら指揮するカタールのグローバル戦略の一環として分析したことがある(「アル=ジャジーラとカタールのグローバル戦略」池内恵『アラブ政治の今を読む』中央公論新社、2004年)。ハマド首長は1996年に政令でアル=ジャジーラの設立を命じ、初期資本の提供と、国営企業の広告出稿などで全面的に支援し、グローバル・メディア空間における中東報道に衝撃を与えた。2001年のWTO閣僚会議誘致は、「ドーハ・ラウンド」の枠組みの設定によって、持続的にカタールの首都がグローバル経済をめぐる議論で連呼される効果をもたらした。巧みなブランド戦略である。

 この国際的なイメージ戦略において、スポーツ国際大会の誘致や、帰化させた選手による国際大会での活躍は、グローバル・メディアへのカタールの露出を増大させる最重要の「コンテンツ」であるといえよう。誘致・運営では、ハンドボール(中東ではそれなりに注目を集める)のワールド・ユース選手権(1999年)に始まり、サッカーのワールド・ユース選手権(2002年)、アジア大会(2006年)と実績を積んできた。1996年からFIFA執行委員会にカタール人のムハンマド・ビン・ハンマームが選出されており、ハンマームは2002年からAFC総裁の座も占めている(なお、会長・副会長・事務総長を含めた、現在のFIFA執行委員会25名の中に日本人は一人もいない)。しかしそれでも、一気にワールドカップ開催を勝ち取るとまでは、私自身も、最近になるまで予想していなかった。2008年を境目にした世界経済の激変が、湾岸産油国の相対的地位をいっそう高めたと言えよう。

 カタールの代表チームは、(1)ケニア、セネガル、ガーナなどアフリカ諸国、(2)エジプトやスーダン、パレスチナなどの(お金のない)アラブ諸国、(3)ブラジルやウルグアイなどの南米諸国、から多くの選手を帰化させて強化してきた。今大会でも帰化選手が多く含まれるが、そのような手法でどの程度の成果を得られるか、国際的にどのように受け止められ、報じられるかといった観点から、カタール代表の試合や大会全体を見ていくのも、サッカーの一つの見方だろう。それは、日本が国際社会を生き抜いていくためのヒントも与えてくれるかもしれない。

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