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2018年2月22日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

戦後も人気、東日本大震災で死者

 戦後は、軍の解体に伴って進駐軍に接収され、その宿舎に充てられた。日本に返還されてからは、日本遺族会が国から借り受け、「九段会館」として一般の利用に供されてきた。

 千代田区の真ん中という立地の良さ、ホール、結婚式場、ホテルなど多目的な機能をもつ利便性もあって人気を誇り、一度は訪れたことのあるという方も少なくないだろう。映画のロケにもしばしば使われ、2007年に公開された映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」などにも登場した。

 その由緒ある建物も次第に老朽化、2・26事件の舞台であることを知る人も少なくなったころに惨事が起きた。平成23年3月11日の東日本大震災、激しい揺れで天井が崩落し、ちょうど行われていた専門学校の卒業式に出席していた講師2人が亡くなった。

 その後、営業は停止され、ゴーストタウンのような無残な姿をさらし続けた。それだけに、取り壊されてしまうのではないかとも危惧されたが、国の「九段会館及び同敷地に関する検討委員会」が2016年6月、一部保存がのぞましいという報告書をとりまとめ、昨年9月には再整備の入札が行われた。
 
 新しい施設は地上17階、地下3階。皇居に近い景観をいかしたあらたな名所になると期待されているが、歴史の舞台との調和をどのようにとるか。現在の建物を残すからには、2・26のモニュメントとしての意義が薄れないようにしてほしいところだ。

数々のゆかり建物が姿消す

 思えば、2・26ゆかりの地、建物は、時の流れの中で、ほとんど姿を消してしまった。

 当時の首相官邸。反乱軍に襲われた岡田啓介首相は、公邸部分の女中部屋に隠れ、一昼夜以上たってから弔問客に紛れて奇跡的に脱出したが、その公邸も2002年まで使われた後、新官邸の完成で旧官邸が公邸になったのを機に取り壊された。

 反乱部隊の主力は、帝都防衛の任務に当たる歩兵第1連隊(歩1)と同第3連隊(歩3)だった。六本木にあった歩1は戦後、防衛庁が長くその施設を使っていたが、2000年に市谷に移転した後は、跡地に「東京ミッドタウン」が建設され、新名所として賑わいを見せている。

 その向かいにあった歩3は戦後、東大生産技術研究所などが入居、いまは取り壊されて国立新美術館に姿を変えた。

 決起将校の一部は、赤坂の「山王ホテル」や「幸楽」などという料亭に立てこもり、最後まで抵抗する構えを見せた。赤坂見附から溜池にいたる山王日枝神社のあたりだが、山王ホテルは戦後、米軍に接収され、今は「ニュー山王ホテル」として麻布に移転している。

 決起将校らの非公開裁判が行われ、銃殺刑が執行されたのは、東京陸軍刑務所。渋谷区役所、渋谷税務署がある界隈だ。慰霊碑が建立され、足を止め、手を合わせていく人がいまなおみられる。

 九段会館が取り壊されていたなら、2・26ゆかりの場所がほとんど消え去り、事件を伝える手立てが失われていただろう。将来にわたって大切に保存し、昭和史を振り返るよすがとなるよう期待したい。
 
 2・26事件が起きたのは82年前の今月26日。大雪の朝で、寒気はことのほか厳しかったという。

  
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