2024年11月22日(金)

池内恵「中東の眼 世界の眼」

2011年1月31日

 インターネットの遮断は、結果的に、ムバーラク政権の統治能力に、国際的な疑問が付される結果を招き、政権の正統性に致命的な打撃を与えた。1月25日にはエジプトを「安定している」と評した米国のクリントン国務長官が、1月28日に姿勢を転じ、ムバーラク政権に改革を求める立場に変わった。同日にオバマ大統領はムバーラク大統領と電話で会話し、暴力的な弾圧を戒めている。クリントン国務長官は1月30日に米国の朝のテレビ番組に多数出演し、「秩序だった移行」を求めた。オバマ政権は、徐々にムバーラク政権を見離し始めている。ムバーラク政権の取れる手段の幅は狭められ、国際的支持は失われてきている。

 ムバーラク大統領は1月28日深夜に、全閣僚を更迭すると発表し、1月29日夕方に、副大統領と首相を任命した。副大統領に任命されたウマル・スレイマーン将軍は、軍の情報機関出身で、長く総合情報庁長官を務めてきた。1995年にはエチオピアのアジス・アベバでムバーラク大統領の暗殺の危機を救った。文字通り大統領と共に死線を潜ってきた盟友だ。首相に任命されたムハンマド・シャフィーク空軍中将は、1996年から2002年に空軍司令官を務め、その後は民間航空相として手腕を振ってきた。いずれも最側近の軍人であり、体制の防衛のためにハリネズミのように身を固くした、治安維持政権という性格が濃厚だ。

 首相以外の閣僚も、1月30日の段階で任命できておらず、統治権力の空白が生まれ始めている。組閣をしようにも、この状態で閣僚を引き受ける有能な人材がいるとは思えない。主要なテクノクラートは、29日に更迭された内閣に含まれていた。エリート層の多くは様子見をしており、政府系のメディアに関係している知識人も政権批判の側に回ろうとしている。ムバーラク政権は軍人を中心にした内閣によって、国民の安全を提供できるのは政権だけだと主張しつつ、政権の息のかかった人物を見せかけの「対話」の場に呼ぶ茶番劇を演じて見せるだろう。しかしたとえ強権を発動して政権を維持しても、ムバーラク政権の正統性が、取り返しのつかないほど傷ついたことは確かだ。

軍の動向が鍵

 1月28日の金曜礼拝での集会を利用した大規模デモでは、治安部隊は群衆に圧倒され、撤退を余儀なくされた。代わりに配備された軍は、30日の昼の段階では、鎮圧や威嚇を避ける姿勢を保っている。群衆も軍の末端の兵士を懐柔しようと友好姿勢を示した。抗議運動の側からは、できれば軍が群衆の側に転じることで政権を崩壊させたく、直接対決することは避けたい。しかし軍こそが、抗議運動が批判する腐敗した体制で、最も利益を得ている勢力である。

 最終的に動向を決するのは、軍の動きだろう。ムバーラク大統領は、タンターウィー陸軍元帥・国防相をはじめとする軍幹部については十分に掌握し、統制しているだろう。その意味で大統領は絶対権力を握っている。しかし民衆に銃を向けよと命じた時に、末端の兵士が従うかどうかは、やってみないと分からない。

 エジプトの軍は、予備役も含めて約80万人を擁し、その家族・親族を含め少なく見積もっても1000万人は、軍の利権から利益を得ていると考えられる。エジプト国民が約8000万人であることを考えると、この数は極めて多い。1952年に自由将校団という民族主義・改革派の青年将校たちがクーデタで王制を打倒して権力を握ってから、エジプトは基本的に軍が実権を握る国家であり続けてきた。

 エジプトの軍は、軍需産業だけではなく、航空産業、警備会社、旅行会社、さらにはミネラル・ウォーターなどの食料品、衣料品まで含まれる巨大な関連企業群を傘下に収めている。大規模な土地を所有して運用し、経済自由化の中で別荘やショッピング・モールなどを開発し、大きな利益を上げている。軍はエジプトの「大家」的存在である。軍の指揮命令系統においては絶対権力を握るムバーラク大統領も、軍・産複合体が最大の既得権益を握る体制の代表者に過ぎないともいえる。


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