青函連絡船が輸送の隘路となっていたのは昭和40年代まで。
いまや関東~北海道間の鉄道旅客は航空の1/20に過ぎない。
それでもいつまでも函館は、北海道の心の玄関口である。
そんな駅とかつての航路を見続けた駅弁が、現在も名物として函館の駅に君臨し続ける。
青森駅と函館駅を結ぶ、3時間50分間の船旅。鉄道が国内における陸上交通の王者であった昭和40年代まで、青函連絡船は本州以遠と北海道との間を移動する際に、避けて通ることはできない存在であった。そして、その利用は通過儀礼として、乗客に旅を印象付けた。
青森駅には上野や大阪などからの、函館駅には札幌や釧路などからの列車が集まり、海峡の水面を前に足を止める。乗客は跨線橋を渡り、貨車は専門の機関車と可動橋の力を借りて、それぞれ連絡船の船倉に収まる。最大で約1,200名の旅客と48両の貨車を積める、総トン数8,000トン級の大きな船は、20名以上の乗組員と約6,100リットルの軽油の力を頼りに日本の領海を飛び出し、潮流が速いうえ複雑で時には牙をむいた津軽海峡を横断し、南の青森駅や北の函館駅を目指した。
対岸に着けば今度は、ホームに停車している列車の座席を争う徒競走が始まる。これは「函館ダッシュ」「青森ダッシュ」などと呼ばれ、海峡の駅の風物詩であった。輸送の繁忙期や時化での欠航が続くと、駅には海を渡れない貨物が足止めされ、滞貨の山ができた。一日最大30往復、365日24時間、絶えず続く光景であった。
見た目は地味だが実力派!
函館駅の名物駅弁「鰊(にしん)みがき弁当」は、1966(昭和41)年からこのような駅と航路を見続けてきた。この駅弁は、身欠きニシンの甘露煮とカズノコの味付けを御飯の上にたっぷり載せた、シンプルな内容のお弁当である。
発売当初から製法が変わらないという甘辛なニシンは、口の中で身を崩しながら濃厚な旨みを広げる。醤油風味のカズノコは、サクッとした歯応えを残してプチプチとはじける。これらが白御飯の食を進めて、そして腹が満ちてくる。大根の味噌漬と茎わかめの箸休めもまた、中身を引き立てるいい役割を演じている。
面積が小さく底の深い木製の折箱に、漢字の「鰊」を大きく書いた包装紙を載せる。これが駅弁売店に置かれていなければ、何かが足りない気がするような存在感。見た目は地味であろうが、これが函館の駅に根付き、旅客に親しまれ続ける。半世紀の時を経た、名選手である。