1977(昭和52)年に、当時19歳の若き演歌歌手である石川さゆりが「津軽海峡冬景色」を歌い、スターへの道を歩んだ頃には、青函連絡船の輸送量は旅客も貨物も大きく減少していた。昭和50年代に入ると、航空利用の大衆化、自動車の普及と中長距離フェリー航路の発達、国鉄の運賃値上げやストライキなどの理由により、乗客も貨車も昭和40年代の盛況がうそのように引いてしまった。函館ダッシュも青森ダッシュも滞貨の山も見られなくなった。海峡の駅で乗客を待ち構える列車も、いくつかが欠けていった。大きな船には、時には数十名の旅客と数両の貨車しか積まれず、その輸送力を持て余した。
半世紀前の旅を追体験!
1988(昭和63)年の青函トンネルの開通による旅客の賑わいは、持続できずに一過性のブームで終わった。今では例えば東京都~北海道間における旅客輸送の分担率(シェア)は、平成20年度の国土交通省統計では航空の97%に対して、鉄道はわずか3%となっている。首都圏対北海道までエリアを広げても、航空が95%、鉄道が4%(航路が1%)と、たいして変わらない。2015(平成27)年度に新幹線が青函トンネルを渡れば、この数字は少し変わってくるかもしれないが、上空を通過せずに函館を経由する旅は、もはや特別な体験である。
それでも函館には、北海道の、あるいは北海道観光の玄関口というフレーズが、よく似合う。青函間の船旅は、実は今でも気軽に体験することができる。津軽海峡フェリーと青函フェリーの2航路で一日合計16往復のフェリーが出ており、自動車を伴わなくても人だけで乗船することができる。その所要時間は偶然か必然か、国鉄の青函連絡船と同じ3時間50分。フェリーのりばは駅からはバスやタクシーを必要とするほど離れているが、駅弁を買って船倉に収まれば、半世紀前の旅を追体験できるのではないだろうか。
※次回は、3月17日(木)更新予定です。
どうぞお楽しみに!
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