2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2018年4月21日

平山郁夫の作品がない「平山郁夫キャラバンサライ」

 閑静な住宅街の一角に、シルクロードをテーマにした大型作品群を残した平山郁夫を紀念する「平山郁夫キャラバンサライ」と名づけられた煉瓦造りの平屋の建物があった。日本文化を発信しようというのだろうが、中を覗くと壁にウズベキスタンの代表的現代アート作家の作品が並べられ展示即売会が行われていた。

 平山郁夫の作品は一点も所蔵していないというから、まさに仏作って魂入れず、である。これがクール・ジャパンと呼ぶ日本の対外広報活動の、日本語学習熱が高いとされるウズベキスタンの首都における現実なら、お粗末の謗りは免れないだろう。

 日本人資料館、日本人墓地、それにヌボイ劇場――タシケントに来た日本人が立ち寄り、第二次大戦直後にスターリンに弄ばれた日本抑留兵士の悲劇を噛みしめるべき場所だ。だが、実際に足を運んでみたが、先人の名誉が全うされているようには必ずしも思えなかった。

 資料館は幹線道路から外れたデコボコ道路の脇に在った。入口に「 『1940年代にウズベキスタンで生活していた日本人の記録』資料館」と記された30㎝四方のプレートがヒッソリと掲げられているだけ。これがなかったら、やや大きな民家と見間違ってしまう。どんな不都合があって日本兵抑留の記録と表記できないのだろうか。

 中に入ると畳20枚ほどの広さの部屋に当時の写真やら、実際に使った粗末な手袋や兵士の履歴書などが展示されている。敗れたとはいえ矜持を失わず過酷な労働に耐えた日本兵の振る舞いに感動した館長が、自力で建設したとのこと。潤沢な運営資金があるとは思えない。だからだろうか、建物に設置されている10台ほどのエアコンは凡てLG製だった。日本製が高価だったのか。それにしてもエアコンの無償提供を申し出るような“義侠心”を発揮する日本の家電企業があってもよさそうなものを。

 資料館と道を隔てた向かい側に大きなモスクがあり、その奥が広大なイスラム墓地。日本人墓地は、さらにその奥に慎ましく在った。墓守による管理が行き届き、散り掛けた桜が風に舞い、故郷の土を踏むことなく異土の土となった英霊を慰めているようだった。

 墓地を後にヌボイ劇場へ。

 素人同然の抑留者が建設したとは思えないほどに堅固で壮麗な石造りの劇場である。劇場横の壁には上から現地語・日本語・英語で劇場の由来が刻まれていた。日本語では「1945年から1946年にかけて/極東から強制移送された/数百名の日本国民が/このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の/建設に参加し、その完成に貢献した。」とある。「日本国民」は英語では「JAPANESE CITIZENS」とされているが、これではいったい誰がどのような権限で「強制移送」を命じ、どのような「日本国民」が「(劇場の)完成に貢献した」のか全く見当がつきかねる。

劇場の由来を記したプレート

 日本軍兵士は「JAPANESE CITIZENS」ではないだろう。かりに「JAPANESE CITIZENS」として、彼らは何故タシケントまで「極東から強制移送され」なければならなかったのか。どんな法的根拠があったのか。“突っ込み所満載”の劇場由来記であった。

 2016年9月の「最も残酷な独裁者の一人」の死去を受けて同年12月に実施された選挙で圧勝したミルジエフ現大統領は徐々に権力基盤を固め、遂に2018年1月末には治安トップとしてカリモフ体制を支えてきた「ウズベクの闇将軍」ことイノヤトフ国家保安局長官を解任し、前政権の“残党”を一掃したとの評価も聞かれた。街頭に掲げられた国民に向ってほほ笑む大統領の大きな写真を目にすると、前政権の独裁路線を継承しているとの批判も強ち間違いはないようだ。

 だが庶民の支持は高い。前カリモフ政権の恐怖政治からの解放という側面もあるが、やはりミルジエフ大統領の開放政策による経済の活性化と国境を接している周辺諸国――北から時計回りにカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタン――との緊張緩和にみせる積極姿勢を国民が支持しているということだろう。周辺諸国との関係改善は経済活性化に大いに寄与し、国民生活の向上につながることを国民が期待しているわけだろう。


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