2024年12月26日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年4月8日

 未曾有の大震災が日本を襲って以来、隣の大国・中国で、政府と国民はそれぞれどのような反応を示したのか、本稿では見ていく。そこから、中国の対日姿勢や対日戦略の変化と不変な体質を探るための材料がいくつか見つかるであろう。

日本に対する絶賛の背後には

 まず注目すべきは、震災直後から、中国のインターネットとマスメディアで日本人に対する賞賛の声が続々と上がってきたことである。災害に際しての、日本国民の冷静さや秩序正しさ、非常事態の中でも他人に迷惑をかけないという心構えや、「震災後の品不足の中で便乗値上げが見られない」という「不思議な」現象など、とにかく、震災の中で日本人のとった行動のすべてが感嘆と賛美の対象となっている。言ってみれば、日本では「当たり前」とされる事柄のすべてが、多くの中国人に多大な衝撃を与えて、彼らを大いに感心させたようである。

 そのことの持つ意味は非常に大きい。それは、日本国民は自らの行いをもって、江沢民政権以来の反日教育が中国国民に植え付けた「悪魔的な日本人像」の一角を崩したことになるのと同時に、中国人自身の意識変革の発端ともなり得る。というのも、震災に際しての日本人の諸々の美徳に対する賞賛の背後にあるのは、まさに中国社会の「美徳の喪失」への深刻な反省なのである。そう、多くの中国人は、まさに日本国民の行いを鏡にして、「道徳崩壊寸前」といわれる中国社会自身の醜さを照らし合わせ、「われわれは一体どうなっているのか」と自問しているのだ。

依然として上から日本を見下ろす中国

 震災の最中、日本国民に声援を送ったり支援を呼びかけたりする動きが中国で見られたことも特筆すべきであろう。中国の100名の学者が人民日報傘下の『環球時報』で「日本に温かい支援の手を差し伸べよう」と題する声明を連名で発表したことや、中国映画『唐山大地震』の馮小剛監督が50万元(約620万円)を被災地に寄付したことなどはその最たる例である。台湾では馬英九総統夫妻も登場して21億円の義援金を集めたチャリティーイベントが開催されたことと比べれば、中国国内の震災支援の動きはまだまだ小規模なものに止まっているが、このような人たちが出てきていること自体は実に喜ばしい。筆者の私自身も、かつての祖国から「日本支援」の声が聞こえてきたことを大変嬉しく思っている。そしてそれは、近年来の市場経済の発達と共に「市民社会」が広がっている中で、人間尊重や人道主義などの「普遍的価値」に、中国の人々が徐々に目覚め始めたことのあらわれでもあろう。

 その一方、「日本支援」を主張する一部の有識者やマスコミの論調の中には、たとえば次のようなものもある。「わが中国は文明度の高い大国であるから、懐の深さと包容力の大きさを持っている。したがってわれわれは、日本民族の犯した罪を傍らにおいても、今の日本人民に救いの手を差し伸べるべきだ」。

 このような論調は明らかに、「歴史」の視点から日本への一方的な断罪を堅持しながら、「日本人に懐の深さを見せてやろう」というところの「日本支援論」だが、その背後にあるのはやはり、中国人自身の屈折した「被害者意識」と、近隣国を上から見下ろすような相変わらずの「中華思想」であろう。こういう論調を見ていると、中国人の対日観はやはり旧態依然であろうと思わざるを得ない。彼らにとっての日本人はあくまでも歴史の「原罪」を永遠に背負っていかなければならない「犯罪民族」であり、彼らから見た日本はやはり、永遠に平身低頭して「大国中国」を下から仰ぐような「小日本」でなければならないのである。


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