「台湾民主化の父」とも呼ばれ、長らく総統をつとめた李登輝にどういったイメージを持たれているだろうか? 私は、学生時代、ふとしたきっかけで初めて台湾に興味を持った。当時は、早稲田大学の学生。その後、金美齢の秘書を経て、台湾大学に留学。そして2012年から、李登輝元総統の秘書として働き始めた。これも偶然の出来事なのか、はたまた運命なのか。着任してから、かれこれ7年が経過しようとしている。私が李登輝と日々、業務で、プライベートでお付き合いしている語り合いの言葉の中から、李登輝が今、伝えたい言葉の真意を私なりに汲み取って、みなさんにお届けしたい。
李登輝元総統に「日本人秘書」が必要なワケ
秘書の仕事、といっても一言で説明するのは難しい。メールや手紙の返事、スケジュール管理から来客の応対、原稿の草稿づくりから御礼状書き、外交官とのお付き合いまで。訪日すれば身の回りのお世話をすることもある。それこそ「李登輝元総統の対日窓口」としての役割を求められる。
総統は日本からの来客が帰るとよく私に「今日のお話はあんなのでよかったかな」と聞く。常に「李登輝はいま日本人に何を伝えるべきか」を考えているのだ。これは決して人気取りとか、耳ざわりの良いことを言うことではない。台湾にとって日本がなくてはならない存在だからこそ、「日本よ、しっかりしろ」という一念だけで、総統は「日本人に伝えておかなければならないことはなにか」を考えている。
事実、奥様(私はいつも総統夫人をこう呼ぶ)は事あるごとに私に向かって「早川さん、主人はね、台湾の総統までやったくせに、いつだって日本のことを心配してるのよ」と苦笑混じりに話すのである。日本からの来客が、李総統に何を話してもらいたいか、という時機的なセンスも考えてのうえで日本人秘書を必要としているのだろう。