2024年11月22日(金)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2018年6月14日

相手にとって台湾訪問がよいものになるよう心を尽くす

 この日は、午後3時から、日本からの総統への表敬訪問があったため、ランチもそこそこに総統の自宅へ向かう。前もって忘れてならないのは、当日の名簿と簡単な挨拶原稿だ。総統は来客前、必ず名簿をじっくりと見て、名前と肩書を頭に叩き込む。

 その際には「2004年末の訪日の際にお世話になった。前回お会いしたのは2年前。現在は社長をリタイヤされ相談役」などといった情報を付け加える。こうすることで、来客の周辺情報がインプットされ、メモを見ずとも「こないだお会いしたのは2年前じゃなかったかな」と総統の口からスラスラと出てくるようになる。それによって場が和んで話が弾むことにも繋がるのだ。

訪問客に関するレクチャーは重要な仕事のひとつ(写真:筆者提供)

 それ以外にも、事前に来客の秘書とやり取りしたなかでヒアリングした「宿泊はどこか、台湾滞在は何日間か、その他の大まかな予定は」などといった内容を報告しておくことも多い。というのも、総統は常々「どこに泊まってるんだ?食事はうまいか」とか「果物は食べたか。今ちょうどマンゴーが出てきたから食べなさい。あとで届けさせるから」などと、ただ自分を訪問してくれたときだけでなく、相手が台湾に滞在する時間すべてに関心を抱き、台湾訪問が良いものになるよう気を配っているのだ。

李総統が「稀代の人たらし」と言われる所以

 この日の表敬訪問は1時間半ほど、午後4時半には終わった。今日のお客様も大変喜んでお帰りになった。この表敬訪問が、ときにはかたちを変えて晩餐会にご招待いただくことになる場合もある。

 午後5時近くには、ちょうど奥様も外出から戻られた。4月に生まれたひ孫に会いに行ってきたのだ。「やっぱりベビーがいると張り合いが出るわ」とひいおばあちゃんは喜びを隠せない。

 ついさっきまで総統は「中国の『一帯一路』に日本と台湾はいかに対抗するべきか」などと獅子吼していたと思ったら、ひ孫の写真を出して来て「どうだ。かわいいだろう」などとやる。元総統にして日本と台湾を心から憂い、95歳にあっても常々「日台関係をどう前進させるべきか」を語る一方で、ひ孫自慢を臆面もなく見せる。誰だか忘れてしまったのだが、何かの評伝で李総統が「稀代の『人たらし』」と評されていた。この落差にとてつもなく人間味を感じるのは日頃、そばにいる私だけではないということだ。

 この日はそのあと、日本のメディアと会食することになっていた。もともとは2人での食事だったのだが、ちょうど日本から来ている大学教授も連れて来るという。であるなら、私の台湾大学での恩師も同じく国際法が専門なので声をかけ、二次会で合流することになった。いつの間にか二人の約束が、二次会では10人近くに増えていた。日本よりゆるやかな空気の流れる台湾ならではの光景だが、台湾で過ごして10数年、こうして人の輪が少しずつ広がっていく。

「本物の李登輝の言葉」を届けたい

 私が李登輝に仕えることになったのも、ひとつのご縁だった。そのご縁がどんなものだったかは追々お伝えしていきたいが、幸福にも李登輝の生の言葉を毎日のように聞くことができるようになった。この幸運を自分だけで独り占めするのはあまりにももったいない。また、李登輝の言葉の真意が誤解されて伝わっていることもある。「本物の李登輝の言葉」を皆さんと分け合うことが、私のもうひとつの仕事だと思っている。

連載:日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

早川友久(李登輝 元台湾総統 秘書)
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

  
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