昨年、豪雨に見舞われた奄美大島で、被災した若者が立ち上がった。
島の特産、大島紬の命ともいえる黒色を生み出す、泥染め職人の金井志人。
廃業の危機にさらされたが、泥染めを続けることを決意した。
自然の力を借り、人が助け合って、泥染めが続いてきたと気づいたからだ。
いま未曾有の災禍の中にある日本に、彼の思いが届いてほしい。
今まで続いてきたんだから、
ここで続けなければいけない
「災害に遭って気づいたんです。泥染めは、自然のものを使うから、周りの人の助けがあるから、1300年続いてきたんだ。先人たちもそうやって乗り越えてきたんだって」
奄美大島の泥染め職人の金井志人は、昨秋の豪雨被害のことを、こう振り返った。
1979年生まれ。奄美大島で育ち、高校卒業後に東京に出て、25歳で帰郷。父が社長を務める金井工芸で泥染めに携わる。 写真:田渕睦深
島の特産物、大島紬(つむぎ)。「大島の黒」と言われるその色は、泥染めという世界に類のない技法によって生み出される。チップに砕いたバラ科の樹木、テーチギを煮出して茶褐色の染料をつくり、糸に染着させること数十回。次いで、この糸を泥田で揉み叩きすると、泥土中の鉄分と化学反応を起こして黒く変わっていく。これを1工程として3~4工程、つまり計100回ほどの染色作業を経て、ようやく渋い黒色が現れる。すべて手作業で、奈良時代から続く、とにかく手間と時間がかかる染め方だ。
全国的に報じられたので記憶に新しいが、奄美大島を集中豪雨が襲ったのが昨年10月。全半壊した家屋500、浸水した家屋はその倍に上った。金井の父が社長を務める金井工芸のある戸口地区は、被害甚大な地域の一つだった。
「初めは『ちょっと雨量が多いな』くらいだったんです。それが、あっという間に胸の高さまで水が来ました。テーチギを煮る釜(一度に600キロのテーチギを煮出す大きさ)の土台が壊れて釜が傾き、工場は水に浸かって、機材も預かっていた糸もダメになってしまいました」
金井工芸の被害額は800万円。全島的に紬の生産が激減し(本場奄美大島紬協同組合によれば、昨年の生産反数は40年前の30分の1)、金井工芸も紬の染色依頼は減る一方だったので、打撃は大きかった。工場再開には多額の借り入れが必要になる。金井の父は廃業を覚悟し、家族会議を開いた。
「『そこまで金をかけてやっても、見込みがない。どうする』と問う親父に、僕は『続けたい』と言いました。まだやっていないことがあったし、今まで泥染めが続いてきたんだから、ここで続けなければいけないと思いました」