毛沢東思想式ハッピー・エンドの物語
同じく文革開始2年前に出版されたのが『林紅和她的伙伴』(費・林・陳・童子編絵 人民美術出版社 1964年)である。
この物語の主人公である林紅は、農村の中学校を卒業したばかり。可愛らしく気立てがよく、そのうえ肉体堅固で我慢強い娘さんである。共産党の下部組織の共産主義青年団員で、両親が都市で仕事をしているので本来なら都市で進学できるのに、「農村こそが広大な天地だ。そこでは、なんだってできないことはない」という毛沢東の“有難い教え”を堅く信奉し、農村に留まり、自分から率先して困難な仕事に立ち向かおうと決意したというのだから、これまた文革時に毛沢東が「上山下郷(若者よ、農村で農民に学べ!)」をスローガンに都市の若者を農山村に送り込んだ「下放運動」の先駆けのような若者だ。
そこで、「農業は国民経済の基礎である。党は我われに大いに農業に励み、力を農業の第一線に注ぐよう呼び掛けている。農業の持続的な躍進を望むだけではなく、工業を大いに振るわせ国民経済全体の持続的躍進を果たし、我が国の社会主義建設をより速く発展させ、より速く社会主義強国を完成させよう」(「内容説明」)と、彼女は獅子奮迅の働きをみせる。目指すは「社会主義強国」である。
林紅が大活躍する物語は、国を挙げて大躍進政策が展開された1959年秋の早朝。河北省東部の中新人民公社の某生産隊から始まる。
厚い暗雲に覆われた空からは大粒の雨が稔りの大地に叩きつける。「解放後、人々は政府の指導の下で毎年、堤防の修理を進めてきたが、この雨で水かさが急激に増し、堤防決壊の危険性が高まった」。そこで生産隊の書記を先頭に村人が総出で護岸補強工事に向かう。かくいう林紅も友達に呼び掛けて現場へ急行する。
彼女は逆巻く怒濤に飛び込んで杭を打ち土嚢を積む。男勝りで八面六臂の大活躍だ。雨も止み、穏やかな日差しに照り映える川面を2隻の大きな船が船着場に接岸した。積まれているのは、政府から林家荘生産隊に送られる食糧や物資だ。村人の顔はほころび、誰もが川岸に飛んでゆく。その中に77歳の老人がいた。彼は政府から贈られた籾を手に、「毛主席、あなた様はワシにまで心を砕いて下さる。あなた様のご指導があらばこそ、ワシらは最期の日まで戦うことができますんじゃ」と、「解放前までのあの苦闘の日々を思い浮かべ、止め処なく感動の涙を流す」のであった。
傍らに控えるのは、もちろん林紅だ。彼女は、「私は党の呼び掛けに応え、この村で皆さんと一緒に自然災害や食糧危機と戦い、ここに新しい農村を建設することを誓います」と、キッパリと言い切る。もちろん周囲の村人は誰もが感動の拍手であり、称賛の声だ。
この村は相当に貧しい。過酷な自然環境の改造は焦眉の急だ。消極的な友人を励まし、村人に呼びかけ、彼女は自然改造の戦いの先頭に立つ。書記が「林紅同志よ、任務は極めて困難だが堅く覚悟を決めさえすれば、この荒野を無限の稔りの里に改造することができるんだ」と呼び掛けると、彼女は「そうです。党の指導があり、人民公社があれば、どんな困難があろうとも、我われは戦いに勝利する信念を持つことができるんです」と応える。
押し寄せる数々の困難を克服し、「林紅と彼女の仲間たちは農業戦線において輝ける勝利を次々に勝ち取り」、「幾千万の林紅は祖国に降り注ぐ春の陽光を浴び、社会主義の新しい農村を建設するため勇猛邁進するのであった」と、林紅の物語は“毛沢東思想式ハッピー・エンド”で結ばれる。
毛沢東がムリにムリを重ねて強行したことで全国民が塗炭の苦しみを舐めざるを得なかった大躍進が、『林紅和她的伙伴』では大いに讃えられ、人民にとっての理想として描かれている。
毛沢東の悲願を達成しつつある習近平
『石荘児童団』の小栄クン、『草原児童団』の黒牛クン、それに『林紅和她的伙伴』の林紅さん。どうやら子供や若者の世界では、大人に先駆けて文革――毛沢東の敵に対する戦いの準備に入っていたようだ。
習近平主席は1953年生まれだから、『石荘児童団』や『草原児童団』が出版された頃は、小栄クンや黒牛クンと同世代になっている。小栄クンや黒牛クンの手に汗握る戦いに心躍らせ、習近平クンは毛沢東の偉大さに強く憧れたに違いない。
因みに毛沢東の壮大な夢である「超英趕美」の悲願は、GDP第2位の日本を追い越したわけだから、「英」を「日」に換えて考えれば、習近平政権の手で達成されつつあるともいえる。後は一帯一路を掲げてアメリカを猛追するだけだ。全面対決か、双贏(ウイン・ウイン)か、はたまた全面降伏か。であればこそ、米中貿易戦争には断固として負けるわけにはいかないと思うのだが。
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