80年に始まったイラン・イラク戦争は年々激化。85年にはイラク空軍機がテヘランを空襲するようになり、外国人は厳しい緊張状態に置かれていた。そこへサダム・フセイン イラク大統領から決定的な声明が出された。「1985年3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は、民間機といえども安全を保障しない」。つまり、民間機撃墜をほのめかしたのである。
イランに住む外国人は空港に殺到した。しかし日本の航空会社はテヘランに乗り入れていなかった。日本人駐在員とその家族はパニックに陥っていた。外国の航空会社に依頼しても自国民優先でどこも取り合ってくれないからだ。テヘラン事務所から窮状を伝えられた伊藤忠商事本社は、イスタンブール支店長の森永堯(たかし)氏にトルコ政府への要請を依頼した。
森永氏は、まったく関係のない第三国であるトルコに要請することの無理を感じながらも、事態の緊迫を鑑み、当時もっとも強い指導力を持っていたオザル首相に体当たりのお願いを決行した。森永氏はオザル首相から「親友」と呼ばれるほどの人間関係を築き上げていた。
「今、日本にとって頼れる国はトルコしかない。トルコ航空を在外邦人救出のために派遣してください」。森永氏の必死の要請に、オザル首相は数時間で判断を下したという。
「日本人救援のため、テヘランにトルコ航空の特別機を1機出す。詳細はトルコ航空と連絡をとったら良い。日本の皆さんによろしく」
森永氏はこう振り返る。「後日、トルコ航空の関係者になぜ日本人を救ってくれたのか尋ねると“日本人の安全の保障がなかったから”という回答でした。日本の航空会社は“飛行機の安全の保障がなかったから”救援機を出さなかったのですが」。
なぜトルコが日本に対してこれほどまでに好意的だったのか。その背景には、1890年のエルトゥールル号遭難事件以来の親日感情があるという。以上の内容は『トルコ 世界一の親日国』(森永堯著、明成社刊)に詳しい。
政府専用機としてボーイング社747-400型機2機の導入が閣議決定されたのは1987年のこと(実際に運用が始まったのは1991年)。導入の背景の一つにイラン・イラク有事に対する反省があった。その後、自衛隊法も改正された。が、日本という国家の実態は25年経っても何も変わっていないようだ。批判を浴びるたびに形を整えるだけで、国家としての「責任」は決して取ろうとしない。都合よく「民任せ」を連発する。この態度は、今回の東日本大震災や福島原発事故への対応にも通じているように見える。
グローバル時代、今回のリビアのような事態は「想定外」ではない。被害者が出る前に、国家としての対応をシミュレーションしておくことが必要だろう。
『トルコ 世界一の親日国』(森永尭著、明成社刊)
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