だからこそ馮氏は、中国は日本の目の前にある巨大な市場・最適地として門戸を開き、あるいは一層積極的に日本企業を買収することで、「産業昇級」の千載一遇のチャンスを活かすべきだと説く。しかし馮氏は同時に、日本企業が何故ここに来て中国を避け、マレーシア・インドネシア・「中国台湾」などに生産拠点を置こうとしているのかと訝り、それは日本企業が有力なライバルとなりうる中国への技術流出を憂慮しているためなのだろうと分析する。そして、だからこそ中国は情熱を以て有力な日本企業の誘致に務めるべきだと結論する。
「核に怯える日本を核で脅せ」
しかし、中国の日本研究者ですら、昨年日本が中国との関係で得た教訓を認識していないのだろうか。日本がレアアースをはじめとする資源の供給源や生産拠点として中国に過度に依存した結果、中国は尖閣問題においてそれらを一種の人質にとることによって日本に剥き出しの強権を振るい、日本は安全保障上の深刻な危機に直面したことは記憶に新しい。しかも日本は今や大震災によってさらなる国難に直面している以上、安全保障上憂慮せざるを得ない国への積極的な技術移転をどうして真剣に考えられるだろうか?
とりわけ、東日本大震災に際して中国から沸き起こったものが心からの同情だけではなく、危機に直面した日本をさらに脅すことによって中国に全面的に屈服させるという類の偏狭なナショナリズムも含まれていたことに注意する必要がある。香港紙『東方日報』に掲載された、恐らく大陸の過激なナショナリストからの投稿と思われる「核に怯える日本を米国と同様に核で脅し、強い者に弱い日本人の尊敬を勝ち取れ」という議論(「敢えて日本に核を用いれば中日両国は初めて和する」香港『東方日報』2011年4月5日。http://orientaldaily.on.cc/cnt/china_world/20110405/00182_001.html)は、ふだん極めて親日的な雰囲気が感じられる香港、大陸製品を信用せず日本や台湾からの食材を愛用する香港の新聞としてはほとんど有り得ないような偏見と脅威に満ちている。恐らく、香港も特別行政区ながら中国の一部分となってはや14年、中国の顔色をうかがうメディアが言論の質を保ちきれなくなっているのだろうか?
とりあえず、その一部を訳出してみたい。
日本は世界各国のうち、百年内に二度核の打撃に傷ついた唯一の国家である。一回は米国が落とした二発の原子爆弾であり、もう一回は今回の福島原発の放射能漏れである。日本は核と聞けば顔色を変える。中国はこのような状況をしっかりと利用しない手はない。
(中略)
多くの日本人にとって、米国が広島・長崎に原子爆弾を落としたことは拭い去れない悪夢であり、核を恐れること虎の如く、核と聞けば動揺する。歴史の痛みは日本民族の脳裏に重くのしかかり、越えることの出来ない精神的なトラウマとなっている。今回原子力発電所の放射能漏れによって日本全体が戦慄し、憂いと恐怖は日本の朝野全体を麻痺させ、災害に抵抗する心理を失わせた。
(中略)
日本は中国にNoということが出来たが、核に対してはNoと言うことが出来ない。中国はもし日本の尊敬を得ようとするのであれば、敢えて核 (兵器) カードを持ち出し、さらに勇んで核を用いるべきである。それでこそ初めて中日両国は和解することが出来る。日本という国家は自尊心が強く、彼を打倒した国家に対してのみ屈服する。第二次大戦で日本は米国に敗北したと考え、中国に敗れたのではないと考えている。故にただ米国のみにへつらい、中国に対しては事あるごとに強硬である。それは単に釣魚島を占領していることにとどまらず、このような自然災害と国難に直面してもなお教科書を通過させ、中国を挑発していることにも現れている。このような国家に対して中国は何故核兵器を先制使用することをためらう必要があるのか?